全思考

誰???

全思考は誰のものでしょうか???全思考は紛れもなく「私」のものでしょう。。。もしも朝起きて「私」が現れなかったら、、、思考も湧かないはずです。目覚めて自分という感覚が起こらなかったら、、思考も湧かないはずです。ですから思考は紛れもなく「私のもの」です。つまり思考は私の付属品です。私の延長です。では私とは何ですか???私とは真我と体を同一視することから生まれる「観念」です。もしくは真我と体を媒介するプログラムです。つまりこの私とは完全に存在し得ない存在です。根底に矛盾を抱えた存在です。だからそこから現れる思考の全ては勘違いが支えます。間違っているのです。

世界

世界がいつも問題を抱えるのは、、根底がミスだからです。根底にミスを抱えるから、、世界もいつも問題を抱えています。全思考は勘違いの土台の上に構築されたプログラムです。だから世界はいつも問題だらけなのです。アダムとイブが禁断の果実を食べた???そうです、、、禁断の果実とは「私」のことです。私は矛盾であり、、ゆえに思考も世界も矛盾です。食べても食べても幸福にならないのは、、、矛盾だからです。

世界を食べる

ジニャーニは真実に触れて世界を食べてしまいます。世界を丸ごと食べ尽くします。私はこのリアルな世界のリアルな体という妄想から抜け出して、、この世界の背景に戻ります。世界はこの背景から飛び出した幻想に過ぎないことを見抜き、、世界を私の子供にしてしまうのです。心はこの事実を理解できません。なぜならば心自体が自我の産物だからです。自我の産物である心が、、、自我の根底を否定した内容を理解できるはずがないのです。つまり真実は心で理解できません。真実は心で理解するのではなく、、真実によって心を破壊するのです。