今日も現れるこの幻想

幻想という言葉すらも

蜃気楼という言葉があります。確実に「在る」ように見えるにも関わらず、、実際にはない、、、これを蜃気楼、幻想と呼んだりします。「あるように見えて実際にはない」これを幻想と呼ぶわけです、我々は。そしてこの現実と呼ばれる「全て」はまさにあるように見えて全て実際には存在しないので「幻想」となります。え?????マジスカ????ですね。実際には確実に確実にないのです。その証拠にあなたが熟睡時に「何か」を発見したことはありますか?????絶対に不可能です、なぜならばないからです。

儚い????

それを儚いという言葉を使うこともできるでしょう。ですが我々が知っている幻想は「蜃気楼」のようなものでしかなく、、この壮大な蜃気楼は、、、あまりにも手が混んでいると思いませんか????あまりにも壮大過ぎると思いませんか?????小学校時代の友人とバッタリ道で出会っても、、、相手がこちらを覚えているって「ヤバく」ないですか。。。。。そうです、この幻想というヤツは、、、、半端なく、、、半端なく、、、凄いんです。だから幻想という言葉は適確ではないかもしれない。。。

私がしっくりくる言葉は「影」かもしれない、、、真我の影があって、、、それが今ここでしっかりと存在しています。なぜ真我には影があるの????それは真我が無限だからです。無限なのだからその中には「無限の影」もあるわけです。真我の影には無限が投影している、、、だから、、、今ここに影がしっかりとあって、、その影は無限を描写します。無限がここで描写されているのだから、、ここの映像は確実に変わるのです。この確実に変わる描写こそが無限の投影である証拠なのです。無限の描写をスライドショートして体験するという動きが今ここで起こっています。それすらも無限の現れの一つです。