神がマリオでなかったと気づく

マリオではない

ゲーム中に気づきます。あれ俺ってマリオなくて神だ、、、マリオが神だと気づくのではありません。マリオは存在しないのですから、、神がマリオではなく自身の存在に気づくのです。ゲームに中には神は見えませんから見えるマリオを自身と勘違いしていたのです。ですが自身をマリオだと勘違いしているのは苦しいのです。分離感全開、孤独感全開、不足感全開ですから。あまりにそれが苦し過ぎて、、ある時気づくのです。俺って本当にマリオか???と。

神には神だけは見えないのです。そこで確実に見える「マリオ」を私と勘違います。確実に存在する「在る」という感覚の所有者はこのマリオである「私」なのだと勘違います。「生きている」という疑いようもないこの感覚の所有者こそが実際に見えるこの体「マリオ」から発しているのだという勘違いです。それが違うのです。この生きているという感覚は全現象から起こっています。全現象=生きているという感覚です。

生きているという感覚の中に「私」

偽りの私、マリオは「生きている」という感覚の中にこそ生まれるのです。だから逆です、真逆です。マリオが生きている感覚を持っているのではなく「生きている」という感覚の中にマリオが現れています。この大逆転こそが悟りです。目覚めです。景色そのものが生きているという感覚の中に現れているのです。意識の中に景色が立ち現れて消えていきます。