自分が現れたとて

本性が暴かれている

本性が暴かれますと自分という感覚が現れようと現れまいとどちらでもいいという状態になります。なぜならば自分という感覚は本当の私ではないことがはっきりと分かっているからです。その上で自分という感覚は起こります。自分という感覚が起ころうと起こらまいと本当の自分にとっては全く関係ないのです。そしてその中で自分という感覚が起これば苦しみも起こりますが既にそれはパニックではないのです。

実は

実は自分という感覚が現れた時に苦しみが起こるわけですがそれがパニックだったのです。誰も教えてくれないのですから。自分という感覚が起こるとなぜ苦しみが起こるのか???全く分からないままに人生が進みます。進みはしますがひたすらにパニックです。ということでそれ戦いが終わります。本当の自分の発見は自我の出現問題を終焉させます。

自分はそれでも現れる

自分という思考感覚はそれでも現れます。慣性の法則で現れます。ですがそれでいいのです。本当の自分の存在に気づきながら現れる私はもう苦しみを伴いません。私という現れはパニックにはならないのです。テーブルが現れることと同じでそれは勝手に自然に現れるのです。それだけです。それ以上でもなく以下でもなく太陽が現れるように自分も現れます。

自分が現れることができる理由

自分が現れることができるのは本当の自分が存在するからです。そこから投影として現れます。そしてなぜ自分という感覚は気づかれるのか???それは本質が気づきだからです。自分という勘違いの感覚が存在できること自体が本当の自分、真我の存在を絶対的にするのです。つまり自分とは本当の自分の現れに過ぎず、だからこそ存在を気づいてもらえるのです。

自分が現れるからこそ

自分が現れるからこそ本当の自分の存在が露になります。その存在が存在しなくては自分なんて感覚は存在できないのです。自分という感覚が登場し気づかれるこの仕組みこそが本当の自分が絶対に存在する理由です。だから自分という感覚が戻ってきたからこそ本当の自分が露になるのです。全ては気づきの対象であり気づかれる対象は絶対的に真我ではないのです。なぜならば真我に気づかれてしまっているからです。