嘘の声

今目の前

今目に前にカップがあってテーブルがあってペンがあって、、これ嘘の声です。全て真我の影です。真我の影にも関わらずカップ、テーブル、ペンがしっかりと存在しているように見えます。影とは実在しないから影なんです、にも関わらずカップ、テーブル、ペンはしっかりと実在しているように見えます。この動きが嘘です。ですがこの嘘の動きはなくてはならないのです。なぜならばこの影は真我の影だからです。真我とは無限であり真我の影は無限の現れでなくてはならないのです。

存在しているように見えていい

だから目の前にはあらゆるモノが存在するように見えていいし、聞こえていい、味わえていいのです。この影は無限の現れでなくてはならなずだからこそ五感をフルに活用した存在感が起こります。そしてこれらは蜃気楼と同じで実体がないために在るように「見えて、聞こえて、味わえて、触れれて、嗅げて」終わりです。これらが何かに影響を与えることも不可能です。実在しないのですから。在るように感じられるだけの存在です。

存在は気づかれる

「見えて、聞こえて、味わえて、嗅げて、触れれる」だけの存在は同時に必ず気づかれます。この現れは必ず気づかれるのです。気づかれない現れは存在しません。私が現れのごく一部に気付いているのではありません。現れは必ず全て気づかれるのです。つまり我々は全てに気づく存在であり現れそのものでもあります。世界とは私に一部気づかれる存在なのではなく気づかれる現れが世界です。そしてそれは気づきから現れ続けます。