「私」という思考の経験

今ここで

私が居るというのならば今ここで私を経験できますか????私という経験を今積んでください。できないはずです、、経験している時は、、、食べる、香る、聞く、、、という行為のみ、、そこに「私」はでてこないんです。ですが思考で「私は食べた」ということを思うことができます。もしくは「わたしはこれを食べよう」という思いを起こすことができるんです。つまり私とは思考の中で登場する体験なんです。

今ここで私を思考する

つまり私とは経験者ではないんです、、今は経験のみの場所であり、思考を起こす場所であり、、「私が〇〇を経験する」場所ではないんです。私が登場できるのはあくまで思考の中だけの話です。思考の中では何度でも何十万回でも登場できますからこれによって私は実在レベルにまで思い込めるのです。ですが私は実在ではなく空想上の生き物です。

私が何かをされた、、、は空想

ですからこの今というフィールドで、、、私が何かの被害者になることは不可能です。私は今という場所では存在していないからです。私は今思考の中にのみ登場できます。つまり私不在の経験がエンドレスに続くのが真実です。ところが思考は私が何かをされた、、私が何かを被ったという思考を今作り出すのです。

それが何の意味があるのか????

それは分かりました、、で、、それが何の意味があるんですか????つまりこういうことです、、人類のほぼ全員は常に勘違いをしているのです。時に加害者になり、時に被害者になり、、、この「私」の思考上の登場が世界に緊張感を作り出し苦しんでいるのです。「私」とは緊張製造機なのです。私の嘘をまずは見抜くこと、これによって世界から緊張が抜けていきます。私の人生など本当はなくあくまで方便で行われていることがわかる時、真のゆとりが生まれます。