経験からしか気づきを得れない理由

実は悟っている

我々は最初から悟っているんですよ、、、スピ系の書籍にはこの言葉たまに登場します。これは事実で我々は景色を眺める瞬間実は何も名前がない世界を一瞬垣間見ます。名前が全く発動しない瞬間があります、これが悟りです。目の前には名前が一切付けられていない根源がそこに在るのです、毎瞬、毎瞬、、実はこの根源を我々は眺めています。ですが次の瞬間には名前がある世界に引き戻されるわけです。五感は毎瞬、毎瞬この根源悟りに触れているわけです。

経験するとは五感のこと

考えていても悩んでいても気づきを得れないのはその行為に五感が関与していないからです。五感がなければ根源に触れることができないのです、根源は五感でしか触れることができません。なぜならば五感は常に根源に触れることができる武器だからです。もしくは五感が無ければ根元は存在できないとも言えます。dont think ,feelこれはブルースリーの言葉ですが根元、悟りは感じるものなのです。

悟りなど大袈裟なものではない

我々人類は悟りをどこか遠い遠い場所にある未知の世界の場所に存在するものだと想像しました、ですがこれも思考の策略、この名前ドラマに閉じこもっているための仕掛けでしかありません。なぜ悟りを恐ろしく遠い場所、究極の境地にしたかと言えばそれだけ実は近い場所にあり誰でもこれは発見できてしまうからです。だからこそ遠い遠い場所にあると思い込ませたのです。実は我々は毎瞬悟りに触れています、そのことに自覚的になるだけです。

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