こちらの認識とは何も関係なく、、色は動く

分離の世界を生きていようといまいと、、

こちらの認識とはうっさい関係なく色は動き続けなす。修行無常の世界はただ動き続けます、変わり続けるアート作品のように、神が作ったクリエイティブ作品のように。私という視点がどのような分離の世界を見ていようとそこには何の関係もなく色の世界はただ動いていくわけです。そこに人間の脳は分別、解釈を加えていき一人一人違った世界を見せるだけです。ある人の解釈する世界ではそこには争いが絶えず、ある人の見る世界では罵詈雑言が飛び交っているかもしれません。

こちらの思考の解釈がただある

思考の解釈に優劣はありません、ただその「自分」というものが体験した積み重ねが記憶に構築されそこから価値観が生まれだします。その価値観に基づき分別が生まれ、この大アートを切り刻んでいきます。この切り刻み方が人によって全く違うということです。どこをどう切り刻むかによってこの分離の世界は姿を変え続けるということです。どのような分離の世界を生きるか、、これは全員が違いますが唯一同じことがあります。それは分離の世界はどこまで行っても苦しいということです。だからこそ分離の世界にお腹いっぱいになった順番で悟りを目指すようになります、分離した「自分」が。

宇宙のアートはただ動く、それぞれが自由に切り刻む

本当の本当はどう個人がこの宇宙アートを言葉で切り刻むかすらも決まっているのですが、、そこは横に置いておいて我々個人はこの神のクリエイティブ作品、宇宙アートを独自の言語、単語で切り刻んでいきます。「自分」を切り刻み、見える世界を八つ裂きに切り刻んでいくのです。切り刻み方によって見える世界は変化していきます。切り刻んで切り刻んで切り刻み尽くした時に分別のある大人が誕生しているかもしれません。ですがそこにはアートはすでに存在せずアートの残骸、背景に化した世界が広がっているかもしれません。

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