観念

ノンデュアリティスピーカーを過信しない

彼ら彼女らも夢の登場人物に過ぎない

あの人が言うことは信用できる、あの人は本物だ、あの人は別格だ、、、悟り系を学ぶ方は、、、あらゆるノンデュアリティ スピーカー、覚者、グルなどの書籍、動画をチェックし様々な判断を下します。ですがこの行為こそが本質を外しています、コレが夢だということを忘れているんです。コレは夢ですからある特定の人を過信すればそれが拡大し、、その人がストーリー上裏切るような発言をしてしまったりするのです。これは夢です、、何でも起きえるのです。ある特定のスピーカーが突然おかしなことを言い出すということもこの夢では起きえるわけです。

人ではなく内容に重きを置く

悟り系に関し半信半疑であるならば、、、スピーカーの発言内容も、、この見かけ上の私にとって半信半疑な発言になる可能性があるます。なぜならばこの夢は私の観念が投影した世界だからです。覚者は裏では金儲けに走っているのでは????このような疑問を強く持っていればこの夢はそのように展開するはずです。覚者ですら夢の登場人物に過ぎない、、ここを忘れてはいけません。

「私の観念」が覚者をいかようにも変える

コレは夢です、完全に夢です。この夢の中では、、、覚者は私の観念によっていかようにも変わってしまう変容してしまうのです。信用していた覚者が実はデタラメだった、信用に値しない人だった、、このようなことが起きてもそれもまた夢です。あの人って裏で信者を集めてお金を献金させてたみたいだよ!!!じゃないんです。それが夢として起きたのです。

これが夢だと分かった後に未来に興味が持てるか

未来とはこれを現実だと信じる人々の遊び

これは夢です、完全に夢です。これが夢だと分かった後に、、未来に興味は湧くのだろうか???という話です。昨日見た夢の先を今日興味がありますか????昨日の夢の続きがみたいなーなんて考えないんです。なぜか????それは夢だからです、しかもその内容は自分が決めていることを知っているからです。つまりそんなものの先なんて興味ないよ!です。それよりもこの現実をなんとかしなきゃ、です!

夢は自分でどうにかしてる半分遊びだけど

夢っていうのはさ架空のものだしファンタジーだし、結局自分が作り出した遊びじゃないですか?????そんなものよりもこの現実、このどうにもならないこの現実の方が断然重要なんです、大変なんです。だから夢よりも現実でしょ!!となります。だから昨日見た夢なんてとっとと忘れて現実、現実、、です。でもちょっと待ってください、、この現実が夢だったらどうですか????そして実際にこれは夢なんです、、本質が見る夢です。この私ではないですよ、この夢ではこの私はあくまで登場人物です。

夢の中では登場人物はコロコロ変わるし全然辻褄が合わないこともあるし、、、

もしもあなたが一度も夢から覚めたことがなかったら、、、毎晩見る夢を夢と判断することはできませんよね。この現実に比べると、、毎晩見る夢は整合性が取れていないと分かったのは夢から覚めたからですよね。そうなんです、この現実から覚めた人しか気づかないんです、コレが夢って。そしてこれは100%夢なんです。そのことを本質は分かっています、なぜか??本質は今まさにこの夢を見ているからです。だからなんとなくそれが分かっているんです。

未来とはその時の関心が広がるだけ

毎晩見る夢を思い出してみてください、、借金が怖ければお金にまつわる夢を見て、、人間関係のトラブルが怖ければ、、それにまつわる夢を見ます、、だいたいは一番関心が高いことが起こるのです。それをこの現実で考えてみます、、、、結局全く同じじゃないですか????戦争を恐れている人には戦争が起こり、会社勤めを恐れている人には会社内のトラブルが、、恋愛恐怖症の人は異性トラブルが、、、と思いませんか????そうですそのままなんです。だから未来がどうなるかなんて考えても無駄なんです、、その時の関心、観念が大きく夢を現象化させるだけです。

夢の中でなぜ悟り本があるのか???

悟り本の意味

コレは夢です、完全な夢です、、、、小学校時代に帰りに悟り本を立ち読みして帰った、、そんな経験はないはずです。友人の家にゲームしに行ったら悟り本があった、、これもない。。。なぜ???なぜ無かったのか????簡単です、、関心が無かったからです。関心が無ければこの夢ではそれにまつわる情報は出てこないのです。つまり悟り本があなたの世界に現れたのは、、あなたがそっちに興味が湧いたからです。

漠然とこの世界って????

私は覚えています、、高校生時代に宇宙の果てってどうなっっているんだ????と考え続けたことを。。物理学なんかを高校で学びますと、、、全くもって理屈が合わないわけです。数学上、、宇宙という存在自体が絶対に無理があるんです。だから、、、悟りという言葉が現れ、それにまつわる情報が入り始めたのです。コレは夢ですから。

関心があるんだから読めばいい

本なんて読まない方が良いですよ!!!そんなことを言うスピーカーも居ますが、、そのスピーカーも夢の登場人物に過ぎないのです、、その言葉を過信してはいけません。悟りに関心が湧くのであれば読めばいい、、ですがそれで気分が悪くなるならば辞めた方が良い、、、受験勉強みたいに何冊読んだら悟れますか????の世界ではないですが。コレは夢です、、、何冊読んだから結果が約束される世界ではないんです。

軸が通る

私の場合は、、夢という発想、概念を真実の解明に用い始めたら、軸が通りました、入ってくるようになりました。瞑想???マントラ???サットサン????あんまりピンとこないんですね、、ですが夢だ、、という言葉は何かを壊すんです、私の中の観念を。私の観念が崩壊していくんです、夢という発想に。

観念、投影、時間、空間

コレが夢だって気づいた瞬間に、、この夢は観念の鏡である、そして時間も空間もない、、がガツンと入ったんです。頭に入ったというか、、、真我からの思考が変わるんです、、流れが壊されるんです、、自我形成の思考が。急に楽になるんです、、自我を構築する思考の流れが壊れていく感じ。

悟り本も勿論存在していない

これは夢です、完全に夢です、、ですから悟り本も実在はしないんです。あくまで夢の中のアイテムに過ぎない、、でもそのアイコンによって観念が変わると、、この夢の中が変わってしまいます。夢ですから常に変わるんですが大きく変わるんです、人間関係、仕事関係、体調、などなど。悟り本とはこの夢の解体説明書。ただしあくまで夢のアイテムですから偽物も多い、混ぜ物も多い、なんちゃっても多いんです。ですがそれも夢の遊びです。

自分だけ???豊かになっちゃっていいのか???

コレは夢です、完璧に夢です

コレは夢です、完璧に夢です。この夢の中で、、、自分一人だけ豊かになっても良いのでしょうか????自分以外はみんな大変な生活をしている、、なんか申し訳ない気がする、、、残念!!!!コレは夢ですから、、豊かに見えない周囲の人々は幻想なんです、実在しないんです。だから困ってないんです、本当は。困っているのはそれを見てヤバいと感じてる私だけです。

でも周囲を豊かにしてもいい

ですが勿論周囲を豊かにするために頑張ってもいいんです、ですがコレは夢です、完全に夢なんです、、本当は救わないといけない人は実在しないんです。だけど、、、豊かにするゲームが楽しいならやっちゃっていいんです。ただしそれは夢としてやるんです。責任感とか危機感は一切いりません、夢ですから。夢の中でノンストレスで生きれるようになるとどうしても周囲に申し訳ない気もしてきます、、ですがそれこそが観念です。

困っている人(実在)はいない

夢の中に実在する何か、、って存在しえないのです。だから困っている人(実在)は皆無なんです、、そのような映像が夢としてあるだけなんです。「渡る世間は鬼ばかり」を見ても、、中の登場人物は実在しないんです、本当はあんなトラブルに巻き込まれていないんです、、全く同じ。コレは夢ですから、、本当に困っている人は居ません。どこまでいって映像、声、肌感、匂い、味覚のみなんです、、五感という感覚で存在しているように感じるだけなんです。

誰のことも羨む必要はない

夢の中で羨むべき人って、、、

コレは夢です、、夢の中の登場人物で、、、全部を手にしている人が登場するとしましょう、、ですがコレは夢ですから、、、本当は実在しないのです。羨ましい、、と思っても所詮は夢の中のキャラでしかありません。その人が本当に豊かで豊かな生活をしているのは私の前だけです、、私の前から居なくなった瞬間にこの宇宙から消えてなくなります。だから羨ましいと思うのは無駄です。

勿論目の前でいる時は、、

ただし目の前にいる時に関しては様々な感情が湧くでしょう、、良い車、良い家、良いお酒に囲まれていいなーと。ですがその彼が私の目の前に現れたのは私の観念がそうさせているのです。私の観念が投影されて今その人が私の前に現れています。ただそれだけです、、そこに意味はないのです。

羨むべき人のようになれたのに

子供の頃に憧れたような生活、、、そんな生活を手に入れて一番最初に気づくのは????全く満足できない、、全くもってお腹いっぱいじゃない、、、何これ????です。実際に手に入れた理想の車、家、家族、全部が全部維持費がかかる、、、、大変だぞ、、です。憧れていた生活って何なんだ????です。その時に気づくんです、人生って何なんだ????本当の幸せってどこにあるんだ???です。本当の幸せは夢の中ではなく夢の外にあります。

どんなに大変そうな人が目の前に居ても

助ける助けないは自由

これは夢です、完全な夢です、、、ですから目の前に大変そうな老人がたとえ居たとしてもそれも夢です。ですから絶対に絶対に助けなくては!!!はしなくていい。。世界中の大変そうな人々を一人一人助けていく必要はないのです、夢ですから。ですが勿論助けるのも自由、助けて感謝されてそれが気持ちが良いならばそれでいい。助けないで後悔するぐらいならばやっちゃった方が良いのです。でも全部夢です。

恨まれて恨まれて、、、

なぜかしらないがある人から恨まれて恨まれて、、、、なぜだろうか?????コレは夢です、完全な夢ですから、、、原因を聞かなくてもいい、、なぜならばその人は実在しないので。。原因を聞いたととてそれは聞いた瞬間にこの夢で現象化するだけです。原因はないのです夢の中では。ただし聞いちゃった方が早い、聞いてスッキリしたいのならば、、やればいい、、、どうせ夢ですが。

ムカついてムカついて、、、

ある人のことがどうしても許せない、、、あの裏切りだけは耐え難い、、、ですがコレは夢です、、その裏切りは夢の中で起きただけ、、原因など実はない、、、勿論原因を調べれば出てはくるでしょう、、夢の中で。ですがそれは今この瞬間に夢で現象化されるだけです。だけどどうしても許せないならば許さなくていい、、夢ですがそれは自由です。許しても許さなくても全部夢です。

つまり起きる現象に意味などないし解決しなくてもいい

夢の中では何でも起きえるのですから、、、解決しても解決しなくてもどっちでもいいのです。一人助けたら次々に助けるべき人が登場する可能性もあるし、、ムカつく人が居なくなっても次のムカつく人が登場するかもしれない、、、夢では何でもあるのです。ですが現象夢が観念の投影であることは事実ですから観念が変われば次々に現象、夢は変わるのです。

男ってやつは、、、、

この観念がそうさせている

カフェやファミレスに行けば主婦の方々がランチで会話に盛り上がっています。男ってのはさー、旦那ってさー、なんで男はそこに気づかないんだろうか????と男の決め付けパーティーをしています。だから男は、、、、のオンパレードです。ですがコレは夢です、、そこで決めつけた通りに男は動くことになるのです。男は結局若い女に行く、、男は結局浮気する、、男は結局釣った魚に餌をやらない、、です。。この通りに男が動くようになるのです。

最大の恐れを実行する男

その女性が最も恐れていることを相手の男性は実行するでしょう、、、なぜならばその恐れとは強烈な関心要素だからです。。。関心が恐ろしく強いということはそこが広がっていく、夢の中で、、この現象界の中で。だからその人の恐れは現実化されるのです。絶対に絶対に会社を辞めないで欲しい、、そう願えば願うほどに会社を辞めるが広がっていく、、これがこの夢です。

だから全員が自分の観念をしっかりと体験する

旦那の浮気が最大の恐怖ならば、、旦那は浮気をし、、、旦那の収入減が一番の恐怖ならばそうなり、旦那の自分への無関心が最大の恐怖ならばやはりそうなるのです。全ては関心が広がり関心に支配されていくのです。これがこの夢です。全員が平等に関心に支配されていくのですからこの世界は完全にフェアだといえるのです。だから他人のことなど一切気にせずに観念を観察するのです、そしてこの夢の構造に気づき、、観念という牢獄が抜けるのです。

夢から覚めたとして我々は生きていけるのか???

夢の中で生きるか夢から覚めて生きるかだけ

コレは非常に簡単な話です、、ゲームに夢中になってこれがゲームであることを忘れてしまった少年が、、あそうだ!!!これってゲームだ!!!って思い出すだけです。思い出した後にゲームってやれないですか?????できますよね!!!!!です。つまり我々はゲームにはまりこんでしまった少年なのです。これがゲームって気付いてからのゲームって超簡単、超お気楽、超オモロイです。

夢から覚めたとして

夢から覚めたとして、、、例えばスーパーマリオの難易度が下がるわけではないようにこの夢の難易度が下がるわけではないですよね????そうじゃないんです、、この夢は変幻自在だから夢なんです、、スーパーマリオのルール、登場人物は変わってきてしまうのです。実際に幼少期に付き合いがった友人は今は居ないですよね????そうです登場人物変わってるんです。

幼少期は楽だったのに

子供の頃は何にも嫌なことがなくて、、、でも大人になったら嫌なことだらけ、、、、違うんです、、、観念が書き換わっちゃって、、、大人になったらやらなくちゃいけないことを増やしちゃっただけです。要は自分の観念で自分を締め上げているだけなのです。これもあれも全部やらなくちゃいけないことを増やしたのです、観念で。夢から覚めるということはこの世界の真実に目覚めるということ、観念というマジック、トリックに引っかからないようになります。

夢の中で何を悩む?

これは夢です

コレは夢です、壮大な夢です、、、この夢の中で、、、起こることは、、、当たり前ですが自分が普段思っていることや考えていること、、、夜見る夢と全く同じなんです。夜見る夢で、、、全く自分の意志が関係ないってことってないんです。受験前であれば、、受験のこと、、、就職前であれば、、就職のこと、、、そんな感じでその時の不安や関心ごとが繰り広げらえますよね。。。。まさに!!!!この現実と呼ばれる夢も全く同じ、、、自身の観念、不安に思っていること、関心があること、、、そんなことを中心にこの夢は繰り広げられていきます。え????本当に???本当です。その完成度が普段見る夢よりも1万倍高いのです。

そんなこと私考えていないけど

コロナが起こったということは、、、そんなことを考えていたってことですか???全くそんなこと考えていませんでしたけど。。。。。コロナという名前、コロナという病原菌のことなど考えていなくても、、、パンデミック、世界災害、世界危機、、、、について恐れていますと、、、それが広がり、、、何かしら起きてしまうのです。だからコロナを恐れる必要がない。ただ単純にあ、そうか!!!私はこんなことを実は恐れているんだな!です。

夢の中で何が起きたってどうでもいい

所詮は全部夢の中ですから、、、親族の死も、友人の倒産も、不慮の事故ですら、、、実は深刻に考える必要がないのです。ただその夢が起きたのです、、、そしてそこには自身の観念、考え方、思慮が思い切り反映されている、、、いや反映しかされていないというだけです。ですからその夢で起きる全ては観念の鏡でしかないのです、今起きている現象が嫌だったら観念を変えるだけです。ではどうやって観念を変えることができるんですか??実は観念を変えることを主体的行える自我というのも幻想なのでそんなこともできないのです。

ただ真実だけを理解する

真実を知れば知るほどに観念は変わっていきます、なぜならば観念とは「この世界はこうなっている!」という個人の見解でしかないからです。真実とはまさにこの世界そのもの、、真実を知るとは思い切り観念の崩壊に繋がるんです。真実は真実、観念とはその方が信じている真実像です。真実は真実像を溶かします。そして最後は真実だけが在る、、となるんです。

我思うゆえにこの現実

我思うゆえに我あり

我思うゆえに我ありは全くの勘違いです、、我ありという思考がただこの夢で湧いただけです、、我ありという思考がただ夢の中で起こり、、次の私は怒っている、、、という思考が起こるのです、、全部夢の中での湧き出し、現象に過ぎません。葉っぱの中には人格があるという思考が起こり、、次に葉っぱが動くことで動きたかったんだな!が起きます、思考として。この夢の中に実在は一切なく、、全ては現象、幻想、フェイクです。

人類全員の勘違い

この概念、これは夢だ!!は多くの人の信念、観念とは全く異なるので受け入れられることはまずないでしょう。ですがこれだけ文明、科学が発展したにも関わらず多くの人がストレスの中に居ることからも分かるように、、、我々は恐らくとんでもない勘違いをしているのです。文明の進化にしよってこの勘違いが是正されることは先ずない。でもそれも観念、想念ですから、、、先のことは誰にも分かりません。

周囲と全く異なる感覚で生きるって怖い

誰もが信じていないことを信じて生きるって怖いことです、、、これって夢だよ!!!と大声で叫べば精神病院に入れられるでしょう。だから誰も社会では話したがらない、、ですがこれって確実に実在する世界だ、、、という科学的証拠を誰も提供できないのです。それはそのはず、、理論的には破綻しているからです。最初から破綻していることだけが分かっています、ですがじゃあこれは何だ???となればそれも科学的には証明できません。