自我

思考が全部邪魔します

悟りが開こうとすると

急な気づきが起こり、、自我の解放に向かいそうになりますと、、、思考が邪魔します、それは辞めとこう、それだけは辞めとこうよ!、、、他にもっと良いやり方あるかもよ、お手軽なやつ。です。全部こんな感じです、、分かってはいるんです、、でもダメんですよ。。。。。思考が何かに入れ替わってまんまと騙されます。エージェントスミスは最後はこの頭の中に入ってくるんです。

この声を信用しないんてできない

やめときなよ!!!この声を聞かないなんてできません、、、だってこの声を聞かなかったらいったい誰の声を聞くんだ????になります。だからこの声しか聞いちゃダメなんです、、、でもいつもこの声を聞いて結局苦しくなっていくんです最後は。

最初から声消しちゃえば

つまりつまり、、、最初から声が消えちゃえばそれで済むんです、、、声さえ出てこなければ、、もう大丈夫なんです、他に邪魔する奴はいないから。ではそのためにはどうすればいいの????呼吸法は役に立ちます。呼吸に意識が向く時、、思考が湧いてこなくなります。これを徹底的にやります、思考が湧いたら呼吸法、思考が湧いたら呼吸法です。思考の湧き上がりは呼吸法の合図、、さあ始めましょう!!

「私」が感動を壊して「私」が回収する

観念

お金がないと絶対不幸だよね!!!この観念が起こりますと、、その人は本当にお金がない時緊張します、焦ります、辛くなります。人に会っても見下された感じになります、何をやっても楽しくないが起こります。そこで頑張ります、絶対にお金を稼いで幸せになるんだ、、が起こります。そして頑張るでしょう、一生懸命に。10年後給料が高い会社に就職し本当に大きなお金を手にする、、その人はそこで初めて感動を味わうのです。

お金がないと不幸

この観念が実はこの世界から感動を既に奪ったのです、最初にこの観念で感動を奪っておいて、、お金を手にして感動を味わいました。自身で作り上げた感動ストーリーです。この事実が悪いとかそういう意味ではありません、ですが真実はそうなっているという話です。自分で感動を壊しておいて自分で感動を回収しているんです。

観念の構築

お金に関するストレスが多かったからそのような観念が構築したんじゃないんです、自我が芽生えストレスを感じるようになった時にその環境にお金がなかったんです。もしも両親の仲が悪ければそこがトラウマになります。もしもクラスメイトと揉めていればそれがトラウマになります。もしもその時勉強ができなければそれがトラウマになります。観念とは「ストレス」が最初にあってその時の環境が作り上ます。ですが本当は自我形成こそが「ストレス」を生み出していたんです。

飲酒は疑似悟り体験

思考を緩める

お酒を飲んで数学を解く、、できませんね!!!つまりお酒とは思考出来ない状態に持っていくツールです。お酒を飲むと多幸感を感じれるのは、、自我を緩める、思考を緩めているからです。自我、思考に意識を向けることが難しくなり、、その結果、、 分離の世界、緊張の世界から一時的に脱出できるのです。だから多くの人はお酒を毎晩飲んで一時的に思考の世界から本質の世界、本当の世界に舞い戻っているのです。

だがしかし

お酒の問題点は、、簡単に本質の世界に戻れてしまうがゆえに依存性があるということです。誰しも本質の世界に戻りたいのは当たり前でありそれが飲酒という安易なツールで達成できてしまうがゆえに依存性があります。呼吸法、瞑想、マントラを唱えるよりも簡単完結です。だからこそ人は飲酒を覚えると悟りへの渇望が無くなってしまうのです。どうせお酒さえ飲めばハッピーに戻れるのだからと。

飲酒よりも悟り

飲酒の弱点は、、飲んでいない時間はどっぷり思考の世界、分離緊張の世界にハマってしまうということです。飲酒時間以外は、、しっかりと思考分離緊張の世界の住民に戻ります。仕事をしていない時間以外はひたすらに飲酒に依存し我を忘れる方向に動きます。これを続けていては悟りという本当の解放から遠ざかります。

自我の強制解除

自我=意識

現代人は常に思考に意識が集まっています、、これは実は危ない状況でして、、この完全なるたった一つのエネルギーの世界に住んでいながら、空想の中に住むという状況を作り出しています。詳しく説明しましょう、、この世界は空の現れ色の世界です、、色は空が現象化された世界ですから空なのです。空とは完全完璧なエネルギーであり我々はまさにそこに住んでいるのです。ところがその中に居ながら、、まさかそこから脱出するという恐ろしい愚行をしているのが人間です。

どうやって?????

ではどうやってこの完全完璧な世界から脱出しているかと言えばズバリ!!!思考の世界に閉じ込められているのです。ほとんどの方が思考に連れ去られ、思考に囚われ、、もしくは人の思考(TVなど)に意識が捉われています。朝起きて寝るまで思考の渦に溺れているわけです。完全完璧な世界から思考が作り出すイメージの世界に没入しているのです。つまりそこは完全完璧ではなくイメージの世界です、分離、緊張の世界です。

思考の強制解除

信じられない話かもしれませんが我々はこの思考の世界から脱出できれば、、もうそこは真の安らぎ、真の平和、真の喜びの世界なのです。我々が子供の頃から憧れて手に入れたかった全部がそこにあるのです。にも関わらず思考が作り出した世界に閉じ込められて右往左往しているのが事実です。逆に言えば思考の世界から脱出した瞬間我々はその安らぎの中に移住できるのです。

呼吸法

今この瞬間に思考の世界、自我の世界から脱出する方法があります。それは呼吸法です。呼吸に意識を注ぎます、呼吸の動きに意識をしっかりと向けます。これをやりながら思考するのは難しいのです、ですから思考が湧いたその瞬間、、呼吸法を始めます。これを何度も行います、思考が湧いたら呼吸法、、、思考が湧いたら呼吸法です。思考に意識が向く流れが完全に壊れるまでこれを行います。

「私」への焦点を解く

この夢の中で

この夢の中では体を使うと、、体に感覚が行き意識の焦点が思考から体に移ります。運動しながら難しい数学を解くって不可能です、つまり意識は同時に二つにはいけないことが分かっています。思考に凝り固まりすぎた意識を解くには体に意識を強引にシフトさせるのは重要です。ヨガをする、呼吸法をする、ジョギングをする、ウォーキングをする、、体に意識を向ける事で思考から意識を剥ぎ取り「私」を解放します。

「私」に意識が向くと

「私」に意識が向きますと、、、苦しくなります。「私」ストーリーが続きます。。。「私」が何かをやらなくては、、、「私」がこの用事を済まさなくては、、、とエンドレスに苦しみが続きます。「私」とは分離感、緊張感を生み出す根源です。その「私」に意識を向かわせない、、「私」を解放させる、、、そのために体に意識を向かわせる習慣を作ることで「自我」の自動解除を促します。

呼吸の重要性

運動はどうしても時間と手間が必要ですが呼吸法であれば誰でもどこでも行うことができます。思考に意識が向き始めることに気づいたら即呼吸に意識を向けます。呼吸の動きを意識します、吸う・吐くに意識も向けて何度もそれを行います。何度も呼吸に意識を向けることでそこに意識が集まりやすくなり「自我」の解除を意識的にできるようになるのです。

自我のプロレス

巻き込まれたら負け

例えば会社に通うとしましょう、、、行ってみたら、社長と部長が仲が悪くいつも喧嘩している。部長が心身を病んで鬱状態に、、社長はストレス発散でアル中状態。さらに一個上の先輩は性格が悪くこちらに当たってくる、いったい私はどうしたらいいですか?????簡単です、、その起こっている現象は全て幻で、誰も苦しんでいないことを悟ることです。苦しみを体験できるのは誰ですか???幻はその体験はできません、つまり、、誰一人苦しんでいる人物(幻)は居ません。もしも苦しむことができる存在が居るとするとたった一人神です。

いやいや「私」が苦しいのは百も分かっています。

何を言っているのか????私はそれで十分に苦しい思いをしていますよ?????この私が!!!違います、、私っていうには100%幻です、、幻が苦しむのは不可能です。もしも苦しんでると自覚があるのならばあなたが神だということです。だとしたら部長も社長も神でしっかり苦しんでいるのでは???もしも今あなたが神であることが自覚できたならば、、部長、社長の苦しみの全部今神であるあなたが感じているはずです。

つまり

少なくとも100%言えることは、、この見える世界で苦しんでいるのはこの私をやっている神だけです。だから全くもって周囲の苦しみを背負わなくていい、構わなくていい、社会通念上問題にならない程度に振る舞えばいいのです。そして今この私をやっている神が背負っている苦しみをなくすことに専念するのです。なぜ苦しみが湧くのか????そこに注力します。

画面からの誘惑

喋りかけられる度に

我々は画面上の人物(幻)から喋りかけられる度にこの「私」が起動し「私のストーリー」が立ち上がります。この仕組みを見抜けない間は一生物語の中に閉じ込められるわけです。こんな辛い出来事があって、、、と相談する度に、、「私」の物語の中に閉じ込められているのです。画面上の誰かは、、実はあなた(真の)を画面上のキャラに閉じ込めるための仕組みです。

寂しい

これは実験すれば直ぐに分かります、多くの人と会話をすればするほどに寂しいは増していきます。会話をすればするほどに寂しいが増すっておかしくないですか????おかしいんです。つまり我々は個を意識させられることで孤独を増していくのです。つまり人間関係とはそのまま孤独を作り出すツールなのです。そして人は孤独を癒すためにさらに人を求めるという負のループに入るのです。

違う違うそうじゃない

人と会うことで孤独感を増し、それを解消するためにさらに人に会うというパターンを人は作ります。周囲の画像(人物)こそが実は個を作り上げるメカニズムです。話しかけられることで背景は個を意識し、意識することで孤独感を作り出し、、それを解消するために人に会います。この自作自演ゲームこそが自我ストーリーのカラクリなのです。

裏切り

自我の延命措置

裏切りとは自我の延命措置です、、例えば、、仕事がバリバリできる社長は、、全くもって人を必要としません。たった一人で稼げるわけだから、、誰に依存しなくてもいいのです。これは一種の悟り状態です。人に対する執着がゼロです、、、このままいくと悟りが開かれるでしょう。そこで自我は頼ってきた人々を助けるという行動を取らせます、助けることで「自分」の存在を確かにするのです。俺が助けている、、これだけ助けたのだからこれぐらいは感謝されないと、、です。「俺」がいなければこいつらは路頭に迷ってしまうぞ!!!です。

そこで事件が生まれる

助けるべき人々が居るというのはそのまま夢化しますから「私」の前には助けるべき人が出現するでしょう。それによって自我はホッとしているのです。これで「私」はしばらく生存できるぞ、、と。そしてそこからの裏切りです。相手の自我(あるとすれば)はこちらが与えれば与えるほどに返さなくては、、、が起きます。損得勘定でしか考えられない自我は、、、与えられることを実は恐れます。借りができたような気持ちが悪い感覚になるからです。何かあったら今度はこっちが与えなくてはいけなくなる汗です。

自我の動きを見抜く

自分が居るという感覚の中に居る人々は(見かけ上)浮遊霊のようなもの、、常に居心地が悪く、、常に怖い、、全部が恐怖ですから、、、多くのものを与えてもらったという事実すらも、、不快なのです。つまり強烈に自我を感じてしまうわけですね、、ですから最終的には、、逃げ出すわけです。これが世間で言う裏切りです。ですが本当はこの動きは勝手に起こっているだけです、、自我ありき(見かけ上)の人物像において勝手に起こった化学反応だということです。ここで怒ってしまうと、、、失礼を受けた「私」失礼をぶっこいた「相手」という幻想を強く強く信じる結果になります。

自我ゲームに引き摺り込もうとする動き

実際には

映画マトリックスでは、、、目覚めようとする主人公NEOに対し、、エージェントスミスがまるで悪意があるかのように徹底抗戦するわけですが実際のこの世界(夢)では、、、誰一人この見かけ上の「私」を悪意を持って目覚めさせない、、、という動きは起きません。そこには何の悪意もなく、、、ただ反応としてひたすらにこの「私」に話しかける(この中に私が居るという前提)が起こります。

関心は夢化し

「まっちゃんマジで????」がYahooニュースの記事になれば、、、松本人志のニュースがガンガン夢化し、、、見かけ上の「私」を誘惑します。異性に興味があれば「可愛い!!」と思う子が、、、私の前に現れては誘惑します。「あれ俺のことあの子見てなかった????」が起こるんです。地震が怖ければそれが連発し経済不況が怖ければそれが連発する、、、恐れていことは次々に夢化し、、その影響を受けるかもの「私」を意織させるのです。

「私」に関心がある限り

実は実はこの「私」という架空の存在に関心が集まる限り、、「私」を取り巻くドラマが終わることはありません。そうです「私」に関心があるからこの「私」ドラマが続くのです。「私」に関心がなくなりますと「私」ドラマが起きないんです。この夢では関心が広がるようになっています。真実に関心が集中しますと真実が広がっていき「私」ドラマが終焉に向かいます。「私」に本当に関心があるのかないのか????です。

あまちゃん

能年玲奈に戻る????

あまちゃんというドラマが以前大ヒットしました、国民的スターになった能年玲奈さん。今は違う芸名でやっているらしいですが。。。あのドラマは日本国民があまちゃんという役に夢中になりあまちゃんは大有名キャラに。その演者が能年玲奈さんです。彼女はどこへ行ってもあまちゃんと呼ばれ続けたことでしょう、プライベートでも。そのあまちゃんですが、、、彼女があまちゃんになり切ってしまって生きるとしましょう、、これが我々の自我活動です。

いつか能年玲奈に戻る????

悟りとは一瞬です、覚醒とは一瞬です、、、いつか私は能年玲奈に戻る?????その発想がもうおかしいのです、毒が染み渡っています。あまちゃんから能年玲奈に戻るために苦労や努力、成し遂げるための何かは必要ありません。能年玲奈はその場で急に自身が能年玲奈であったことに気づくのです。いつか、、どこかで、、という発想こそがギャグです。

どうやったら????

どうやったら能年玲奈に戻れますか????この質問も完全に洗脳されてしまった状態から起きます。のんというのが役でありそれに気づくだけです。のんとは実在はしない、、ただし役としては実在した、、幻想として、役として、、周囲から認識は確実にされていた。だがそれは幻、役であって実在ではない、、、となります。あなたは本当はのんをやっていた能年玲奈なんだ、、、です。