自我

全部失ってみる

自我は全部失う危険を訴え続ける

全部失ったら大変なことになるぞ!!という思考が湧き上がり、、、それを回避するために自分はどうするか????という自我ゲームが続きます。もしも会社を首になって辞めたら、、家賃が払えなくなって路頭に迷い、、人生が終わるぞ!!!です。だから自分がここはなんとかしなくては????全部を失った経験がないからこそそれが怖くて怖くて仕方がないのです。

失えば分かる、、、意外と大丈夫

全部失ってみれば分かりますが、、、意外と大丈夫、、、というよりもむしろ軽い、、、あれ????全然思っていた最悪とは違いますけど、、、。なぜ大丈夫なのか????この夢の中の住人のストレスとは全て夢を現実と勘違いし孤独感、不足感を感じているだけだからです。全部を失ってもこの初期設定は何も変わらないのです。つまり苦しいの種類が変わるだけなのです。全部を所有している時は、、所有する苦しみに苦しみ、、全く所有していない時は所有していない苦しみに苦しむのです。ですがこれらは不足感違和感の変化した姿でしかないのです。

これは最大の強みになる

全部失ってみたら意外と苦しさは何も変わらなかった、、、この発見は悟りに大きく近づくチャンスです。大人が両親が煽っていた、、、失ったら大変だぞ!!!!はフェイクだった。全部失ったら社会から抹消されひもじい生活を送らなくてはならなくなる、、、はフェイクだった。苦しさが変わらない、、、なんじゃこれ!!です。所有しても失っても苦しさが変わらないということは、、この苦しさが外的要因ではない、、、では何が原因なんだ????

悟りへの関心が急拡大する

失ってみて全く苦しさが変わらないことが分かった時に再び物的豊かさを求める動機は起きないでしょう。そこからは真の幸福、真の癒しを求めるはずです。それこそが悟りへの入り口、覚醒への入り口、解脱への入り口です。関心の全てが真の幸福探究に動いていきます。

夢の中でなぜ悟り本があるのか???

悟り本の意味

コレは夢です、完全な夢です、、、、小学校時代に帰りに悟り本を立ち読みして帰った、、そんな経験はないはずです。友人の家にゲームしに行ったら悟り本があった、、これもない。。。なぜ???なぜ無かったのか????簡単です、、関心が無かったからです。関心が無ければこの夢ではそれにまつわる情報は出てこないのです。つまり悟り本があなたの世界に現れたのは、、あなたがそっちに興味が湧いたからです。

漠然とこの世界って????

私は覚えています、、高校生時代に宇宙の果てってどうなっっているんだ????と考え続けたことを。。物理学なんかを高校で学びますと、、、全くもって理屈が合わないわけです。数学上、、宇宙という存在自体が絶対に無理があるんです。だから、、、悟りという言葉が現れ、それにまつわる情報が入り始めたのです。コレは夢ですから。

関心があるんだから読めばいい

本なんて読まない方が良いですよ!!!そんなことを言うスピーカーも居ますが、、そのスピーカーも夢の登場人物に過ぎないのです、、その言葉を過信してはいけません。悟りに関心が湧くのであれば読めばいい、、ですがそれで気分が悪くなるならば辞めた方が良い、、、受験勉強みたいに何冊読んだら悟れますか????の世界ではないですが。コレは夢です、、、何冊読んだから結果が約束される世界ではないんです。

軸が通る

私の場合は、、夢という発想、概念を真実の解明に用い始めたら、軸が通りました、入ってくるようになりました。瞑想???マントラ???サットサン????あんまりピンとこないんですね、、ですが夢だ、、という言葉は何かを壊すんです、私の中の観念を。私の観念が崩壊していくんです、夢という発想に。

観念、投影、時間、空間

コレが夢だって気づいた瞬間に、、この夢は観念の鏡である、そして時間も空間もない、、がガツンと入ったんです。頭に入ったというか、、、真我からの思考が変わるんです、、流れが壊されるんです、、自我形成の思考が。急に楽になるんです、、自我を構築する思考の流れが壊れていく感じ。

悟り本も勿論存在していない

これは夢です、完全に夢です、、ですから悟り本も実在はしないんです。あくまで夢の中のアイテムに過ぎない、、でもそのアイコンによって観念が変わると、、この夢の中が変わってしまいます。夢ですから常に変わるんですが大きく変わるんです、人間関係、仕事関係、体調、などなど。悟り本とはこの夢の解体説明書。ただしあくまで夢のアイテムですから偽物も多い、混ぜ物も多い、なんちゃっても多いんです。ですがそれも夢の遊びです。

自我はなぜ霊的向上、霊的進化が好きなのか???

それは時間を稼げるから

霊的向上、霊的進化に興味を持ってもらえる自我は大変助かるのです、、、霊的向上というファンタジーの中で、、多くの時間を費やしてもらえる、、、その間自我はヌクヌクと自身の存在を誇示できるのです、夢の中で。何かを目指すというのはこの夢を維持するには最高に都合が良いのです、夢の中は何でも作り出せるので、、霊的進化を目指してくれれば、、何百年、何世代、何回もの輪廻転生を繰り返してくれるわけです。夢の中で。だから自我はこの発想と相性が良いのです。

夢ですよ

この夢の中では何千回の輪廻転生も歩むことができます、、、夢ですから無限にできるのです。ですがコレが夢であることが分かれば、、、重要なことは覚めることです、今覚めることです。霊的進化や霊的向上ではないんです。夢を長く見ていたければ、、、どうぞお好きにやってください、、霊的進化、霊的向上を。もしも夢から覚めて至福に至りたいならば、、、ただ夢から覚めちゃうことです。

マリオが最強になる

マリオが最強になることと、、、マリオが夢から覚めることとは全く因果関係がないんです。これってゲームじゃん、、、にマリオの進化は全く関係ないのです。毎晩見る夢において主人公のキャラ、人格、人望が夢から覚めることに関係があるのか???という話です。ないんです、そんなものは。

夢の中で何を悩む?

これは夢です

コレは夢です、壮大な夢です、、、この夢の中で、、、起こることは、、、当たり前ですが自分が普段思っていることや考えていること、、、夜見る夢と全く同じなんです。夜見る夢で、、、全く自分の意志が関係ないってことってないんです。受験前であれば、、受験のこと、、、就職前であれば、、就職のこと、、、そんな感じでその時の不安や関心ごとが繰り広げらえますよね。。。。まさに!!!!この現実と呼ばれる夢も全く同じ、、、自身の観念、不安に思っていること、関心があること、、、そんなことを中心にこの夢は繰り広げられていきます。え????本当に???本当です。その完成度が普段見る夢よりも1万倍高いのです。

そんなこと私考えていないけど

コロナが起こったということは、、、そんなことを考えていたってことですか???全くそんなこと考えていませんでしたけど。。。。。コロナという名前、コロナという病原菌のことなど考えていなくても、、、パンデミック、世界災害、世界危機、、、、について恐れていますと、、、それが広がり、、、何かしら起きてしまうのです。だからコロナを恐れる必要がない。ただ単純にあ、そうか!!!私はこんなことを実は恐れているんだな!です。

夢の中で何が起きたってどうでもいい

所詮は全部夢の中ですから、、、親族の死も、友人の倒産も、不慮の事故ですら、、、実は深刻に考える必要がないのです。ただその夢が起きたのです、、、そしてそこには自身の観念、考え方、思慮が思い切り反映されている、、、いや反映しかされていないというだけです。ですからその夢で起きる全ては観念の鏡でしかないのです、今起きている現象が嫌だったら観念を変えるだけです。ではどうやって観念を変えることができるんですか??実は観念を変えることを主体的行える自我というのも幻想なのでそんなこともできないのです。

ただ真実だけを理解する

真実を知れば知るほどに観念は変わっていきます、なぜならば観念とは「この世界はこうなっている!」という個人の見解でしかないからです。真実とはまさにこの世界そのもの、、真実を知るとは思い切り観念の崩壊に繋がるんです。真実は真実、観念とはその方が信じている真実像です。真実は真実像を溶かします。そして最後は真実だけが在る、、となるんです。

いつまでこの夢を見続ければいいのか???

夢だとして

夢なのは分かった、、これは夢なんだな、、そのつもりで生きるよ。じゃあいったいいつまでこの夢を見続ければいいのか?????これが夢だと分かったとして、、ではこの疑問、この思考はどこから湧いてきているのか????本質から湧いています、、自我からではないですよね、、だって自我は湧き出した思考でしかないのですから。つまりこの夢での現象の全ては真我から湧き出たものですから、、誰にもこれはコントロールできないのです。だからいつまでとか、、全く分かりません、、それは全部真我、本質次第です。

いつ死ぬのか????

この体がいつまでもつのか???それは全くわからないのです、なぜならばこの体を動かしている全ては空の現象化、投影、影であり、、ノーコントロールです。誰かがこの体に関与できるならば、、先の予想もつくでしょうが、、全くの未知です。ただどれほどこの夢が続こうが、、これを夢だと確信して生きていくのは超楽チン、究極のリラックスに包まれて生きていけます。問題が起きえないのです。

戦争が起きた、、、

ウクライナで戦争が起きている、、、こんな緊急状態で何を悠長なことを言っているのか????それが夢の中で起きているのです、、、この夢で、、、ではそれに関心を寄せれば寄せるほどに戦争は拡大するでしょう、、夢ですから。無視すれば、、戦争は小さくなるでしょう、、夢ですから。。完全に忘れてしまったとしましょう、、するとそのニュースも出てこないでしょう。これはご都合主義とは違うんです、夢の構造の話です。

子供が病気に、、

子供が大病を患い、、苦しんでいる。。。それにも関心を寄せるなと?????違います、、この夢が現象化したのはなぜか????恐らく子供の大病を恐れていたという事実があるはずです、、子供が大病になってしまうのでは????です。その恐れが現象化した可能性が高い、、だとすれば先ずはその観念が現象化したことを認める、、そしてこの夢の構造を再確認する。すると必要以上に子供の大病を恐れる気持ちが減っていく、気分が軽くなっていく、、大病が和らぐ可能性がでてきます。今起きている現象から自身の観念を確認するのです。そして現象からこの夢の構造を再確認します、気づきがおきます。

究極のリラックスがもたらすもの

これが夢だと分かると

この現実が夢だって気づきが起きた時に、、この夢の中で何が起きるでしょうか????この現実が現実だって信じている時は緊張感があるんです。ですがコレが夢だって気づいたら、、リラックスが起きる。だって夢って分かった状態で逆に緊張するって難しくないですか????どうやったら緊張でます????夢って分かった夢の中で。

この究極のリラックスが、、、

この究極のリラックスこそが、、、この夢に遊びを作ります、、この夢に潤いを与えます、、この夢に温かさを与えるのです。街を歩く時に、、景色が綺麗です、、鳥の鳴き声に感動を覚えます、、全てに神々しさを感じることができます。夢だと分かった夢ってとにかく軽いんです、、この軽さはどこから来るのか???自我からはきませんよ、、、この軽さこそが本質、真我の軽さです。至福とは究極の軽さのことです。

ただもう緊張を味わえない

なぜアクション映画を見たいのか???なぜ任侠映画を見たいのか????それは緊張したいのです、ハラハラしたいのです。。。ですがこれが夢だと分かってしまったら、、もうハラハラができない、、そうです、、ハラハラしたければこれが夢だとバレちゃまずいのです。だからこのメッセージは万人受けしない、、このメッセージを聞いてはいけない人がたくさん居るんです。もうハラハラは十分、もう緊張は十分、もう七転八倒は十分と、、、本質から溢れてきた時に、、このメッセージが届きます。

人間の本性

これは夢です

これは夢です、ですから人間に本性なんてものはないんです、、夢の中ではキャラがコロコロ変わりますが、、、この現実と呼ばれる夢の中でも人間はコロコロ変わるのです。人間って本当に冷たい、、そう信じている人にとっては冷たい、、、人間って温かい、、そう信じている人の夢(現実)では、、そうなる。つまり本性なんてものは存在しないのです。

1万時間人間を研究して分かること

10000時間人間の本質について研究してきた研究者がたどり着く結論は、、その研究者が信じる人間像が真実だったというギャグです。その研究者が見る夢では、、その人が信じる通りに研究結果が進むのです。これは完全にギャグと言っていいでしょう。ですが全員がそのようなこの夢のシステムに支配されていきているのです。

夢ということはこの体の中の自分も本当は居ないのか???

勿論です、、この夢の中で、、実在する存在などあるわけがないのです。夢ですから。親友の中の自我も夢、奥さん、子供の自我も夢です、、ただしあまりにリアリティがあるので、、皆これを夢だとは思えないのです。ですがなぜこれがリアルに映るかと言えば、、、この夢は、、、神、真我、絶対、空と呼ばれる無限の夢だからです。

なぜコレが夢って気づけないのか???

毎晩夢はみるのになぜコレが夢って気づけない????

我々は毎晩のように夢を見たりしますよね????なのに、にも関わらず、、、なぜ直ぐに気づくかないのか??不思議じゃないですか?????私は45年間も夢を見続けているのですがなぜ????この歳まで騙され続けるのか????そうです、、まさに!!!夢をコントロールできるような自我がいないからです。夢というドラマをコントロールできる自分が存在していないのです。夢が流れる時、、自我は何をやっているんだ???自我は寝てるのか???自我は時休を取っているのか???です。つまり自我は存在しないのです。

そして我々は毎日この現実(夢)をいまもまだ現実だと思ってい生きている

我々にとって全くもって信用できる存在「自我」は、、寝ている時は夢に気づけません、、そのようなレベルです、、どこかに居なくなっているではないか????そして朝目が覚めれば、、、、この現実(夢)を現実と疑わず生きている。本当は夢なのに、、、肝心の自我はこの夢ではむしろ主人公だから、、現実に決まっているという思考を連発する。だからこれが夢だと気づくためには、、自我自分ではなく、、その奥にある何か、、、が必要。

不景気に関心を寄せれば不景気が続く

毎日毎日経済番組では日本経済の行く末を憂いています、大の大人が深刻な顔で、、憂いています。こんな偉い学者さんが言うんだからそうなんだろう、、です。残念!!!!これは夢です、、この夢では関心が広がるのです、、不景気不景気と気にすれば気にするほどに不景気が広がるのです。どの経済学者の言うことも信じなくていい、、なぜならばこれは夢だから。

本当は好きじゃないけど。。

これは夢です

コレは夢なんです、、この夢の中で本当は好きじゃないんだけど、、しょうがないから表面上付き合おう!という人が現れたとしましょう、、、ですがこれは夢です、、、関心は膨らむようにできています、、、この本当は好きじゃない人の嫌いな箇所が拡大します、、夢の中で。つまりどんどんしんどくなっていく、その好きじゃない人のウェイトが増えていくんです。

増やしているのは自分自身

夜見る夢の中で蛇を恐れていると、、必ず蛇がでてきますよね、、、これが夢です。これはこの現実も全く同じ夢なんで関心が膨らむんです、関心事が影響力を高めてくるんです。だから嫌なこと、気になることは、、排除です。勇気を持って関わらないと決めるのです。これしかありません。

関心が膨らんでいく

この夢の特徴、、それは関心が夢の中で膨らんでいくということ、、地震を恐れに恐れていれば地震が起きやすくなります。洪水を恐れていれば洪水が起きます、、、そんなこと夢の中で何度も経験してますよね!!!そうです、この現実は夢ですから、、、恐れていること、大好きなこと、、全部広がっていきます、人生を支配します。そして重要なこと、結局夢なんだから恐れる必要はないということ、執着する必要もないということ、ここがポイントなんです。

働かないと死んじゃうよ

これって完全に観念なんです、これを信じればそうなるだけ、、、夢の中では何でもありです。とにかくとにかく夢って分かればもう安心、、だけど夢って分かっちゃうともう頑張れないんです、、真剣になれないんです、深刻になれないんです、、ということ。夢って分かることが素晴らしい、、ではないんです、、この夢は完全完璧完成(空)の表現、アートですから何が悪いってないんです。自我も結構、恐れも結構、楽しいも結構、悟りも結構、、です。

切り分けることができない世界を切り分ける

どこまでが樹木でどこからが樹木ではない

この世界は人間の視覚において切り分けやすい形で切り分け、、そこに名前をつけて強制的に独立した事象を作り出していきます。人間の視覚上、、樹木は、、根っこ幹、枝、葉っぱを含めてのものですが、、人間の視覚でなければ、、根っこは恐ろしいほどに広い可能性はあります。さらに根っこに吸い上げられていく栄養分は人間の視覚では認識できないことからそれは省いていますが視覚によってはそれを含めて樹木と呼べるわけです。葉っぱから飛び散る花粉は樹木に含めるのか???これも人間の視覚によるものです。つまり人間という動物をベースに名前でもって現象を切り分けているわけです。

本当は何も切り分けることはできない

食べた栄養素はどの瞬間から人間の一部になるのでしょうか???口の中、胃の中、腸の中、毛細血管に入った瞬間、血液の中に入った瞬間か???と全くもって曖昧です。つまり人間という存在すらどこからどこまでか?が全く決まっていないのです。つまり人間と食べ物の境目は曖昧、排泄物と人間の境界も曖昧、、というよりも境目を明確に決めることは不可能であり、、全ては便宜上分離しているとみなしているのです。

にも関わらず

にも関わらず人間のこの体の中には自分が居るという思考が湧き上がり、、あたかも独立した体の中に自我が実在しているように人間は振る舞います。突き詰めてみれば全ての現象は全て繋がっていて切り分けることは不可能にも関わらずです。当たり前のことですがたった一つの実在するエネルギーの投影がコレ、現象界ですから分離できようがないのです。にも関わらず分離しているという前提で物事を理解していくから複雑怪奇な感情に襲われていくのです。

とはいえそれが悪いわけではない

分離するのは悪いことだ、、と言いたいのではありません。分離して見えるのですからそれは別にいいのです。本当は分離などしていない、本当はこの体も分離などしていない、、本当は観念が投影した世界に見えるだけ、、本当は、、、至福とは本当の世界です。分離に疲れたら本当に戻るほかありません。