夢だと思うと全部が凄い

この夢の創造主

私はいったい誰ですか????この私は?????これは夢です、完全に夢です。夢の中の私は誰なんでしょうか?????私とはこの体の中に居るとされている私なんではなく、、、この夢の創造主です。この夢の総合演出、総合美術、総合舞台そのものです。この夢の中の経験は全部この私そのものです。ではこの体の中の私は????それも私の一部です、その思考も私です。

この夢はどうやって成り立っているのか????

目に見える全部の景色を作り出しているのが私?????凄くないですか????そうです凄いんです、、ですが目の前の物自体を作り出してはいません、、景色、映像を作り出したのです。それは私です。目の前のラーメンの映像、そして香るという経験、美味しいという経験、、その経験を作り出したのは間違いなく私です。ですがラーメンという物質、実在は作り出していません、ないので。ラーメンという幻想を作り出したのは私です。香りという幻想も。

旅行に行けば

旅行に行けば、、、全ての景色、全ての食事、全ての施設は私が作ったものです。そしてその際に湧いてくる感情の全て、思考の全ては私が作ったものです。ただし実物は全くありません、その経験の全てを私が作ったのです。旅行に満足したという私の思いも全て私が作りました。私とはこの夢の創造主、神です。そしてその私の中に自我という小さな私も誕生しました。当然それも私が作ったものです。

夢に飲まれると疲れてくる

疲れた表情の人々

夢に飲まれて生きている人と、夢から覚めて生きている人を見分ける方法はあるのか???簡単です、夢に飲まれている人は疲れています、、この夢を超現実と捉えれば捉えるほどにやらなくちゃいけないことが増えていきます。親として、係長として、地域の集会役、子供のサッカー活動の役員、友人との付き合い、、、と様々な役割をこなしていかなくてはならないのです。これが夢に飲まれている人の特徴です。

夢から覚めていく人は

夢から覚めていく人は、、、この役割をどんどん捨てて行きます、なぜならば夢の中でやらなきゃいけないことなんて本当はないからです。会社嫌ならやめちゃえば???地域の役員そんなの無視でしょ、子供のサッカー活動の役員???そんなことやるなら辞めていいよ、、仲間付き合い、、、それって別に好きな時だけいけばいいじゃん、、、です。どうせ夢なのになぜ????やらなきゃいけないことがあるのでしょうか???ないんです!!!!

そうやって孤独に生きていく覚悟がない

周囲の輪に属さず全部から離脱してしまったら孤独では?????なぜ???なぜ孤独になるのか????分かり合える親友が一人いれば孤独なんてないんです。孤独って一人だから孤独って言うわけですが、、夢から覚めると気づくことは、、、この夢は全部が見る夢だということ、神が見る夢です、真我が見る夢です、、、この感覚に近づいていきながら孤独って逆に難しいんです、感じるのが。

我思うゆえにこの現実

我思うゆえに我あり

我思うゆえに我ありは全くの勘違いです、、我ありという思考がただこの夢で湧いただけです、、我ありという思考がただ夢の中で起こり、、次の私は怒っている、、、という思考が起こるのです、、全部夢の中での湧き出し、現象に過ぎません。葉っぱの中には人格があるという思考が起こり、、次に葉っぱが動くことで動きたかったんだな!が起きます、思考として。この夢の中に実在は一切なく、、全ては現象、幻想、フェイクです。

人類全員の勘違い

この概念、これは夢だ!!は多くの人の信念、観念とは全く異なるので受け入れられることはまずないでしょう。ですがこれだけ文明、科学が発展したにも関わらず多くの人がストレスの中に居ることからも分かるように、、、我々は恐らくとんでもない勘違いをしているのです。文明の進化にしよってこの勘違いが是正されることは先ずない。でもそれも観念、想念ですから、、、先のことは誰にも分かりません。

周囲と全く異なる感覚で生きるって怖い

誰もが信じていないことを信じて生きるって怖いことです、、、これって夢だよ!!!と大声で叫べば精神病院に入れられるでしょう。だから誰も社会では話したがらない、、ですがこれって確実に実在する世界だ、、、という科学的証拠を誰も提供できないのです。それはそのはず、、理論的には破綻しているからです。最初から破綻していることだけが分かっています、ですがじゃあこれは何だ???となればそれも科学的には証明できません。

神よなぜ????

パンではなく暴力が、、、

神父さんは神に尋ねます????神よなぜ、、この世界では争いが無くなることはないのか???なぜパンではなく暴力が蔓延しているのか???教えてください。答えを教えましょう、、、この世界は夢です、、あなたが一番恐れていることが現象化し夢化ししっかりと起こるのです。あなたの思考、観念がしっかりと現実化する、、これこそが神の力だと。

現実(現象化)を見て狼狽えるな

現実、現象、この夢に狼狽えるのは滑稽なことです、、、、これは夢ですから、、狼狽えれば狼狽えるほどに、、、恐れる現実は現実化するでしょう、夢化するでしょう。何が起きようと、、、これって夢だよね!!!これって私の観念が現実化(夢化)したものだよね!!!!という気づきがあれば狼狽えることはないでしょう。

現象と友達になる

ボールは友達、、キャプテン翼くんじゃないですが、、現象は友達、、これが悟りの本質です。現象を恐れるのではなく、、、現象は鏡、観念、友達です。忠実に観念を映し出してくれる完璧な映画です。この完璧さ、この完成度の高さに驚嘆してください。この気づきはあなたの人生を180度変えてしまう力があります、本当の気づきは人生を爆破する力を持っているんです。

究極のリラックスがもたらすもの

これが夢だと分かると

この現実が夢だって気づきが起きた時に、、この夢の中で何が起きるでしょうか????この現実が現実だって信じている時は緊張感があるんです。ですがコレが夢だって気づいたら、、リラックスが起きる。だって夢って分かった状態で逆に緊張するって難しくないですか????どうやったら緊張でます????夢って分かった夢の中で。

この究極のリラックスが、、、

この究極のリラックスこそが、、、この夢に遊びを作ります、、この夢に潤いを与えます、、この夢に温かさを与えるのです。街を歩く時に、、景色が綺麗です、、鳥の鳴き声に感動を覚えます、、全てに神々しさを感じることができます。夢だと分かった夢ってとにかく軽いんです、、この軽さはどこから来るのか???自我からはきませんよ、、、この軽さこそが本質、真我の軽さです。至福とは究極の軽さのことです。

ただもう緊張を味わえない

なぜアクション映画を見たいのか???なぜ任侠映画を見たいのか????それは緊張したいのです、ハラハラしたいのです。。。ですがこれが夢だと分かってしまったら、、もうハラハラができない、、そうです、、ハラハラしたければこれが夢だとバレちゃまずいのです。だからこのメッセージは万人受けしない、、このメッセージを聞いてはいけない人がたくさん居るんです。もうハラハラは十分、もう緊張は十分、もう七転八倒は十分と、、、本質から溢れてきた時に、、このメッセージが届きます。

人間の本性

これは夢です

これは夢です、ですから人間に本性なんてものはないんです、、夢の中ではキャラがコロコロ変わりますが、、、この現実と呼ばれる夢の中でも人間はコロコロ変わるのです。人間って本当に冷たい、、そう信じている人にとっては冷たい、、、人間って温かい、、そう信じている人の夢(現実)では、、そうなる。つまり本性なんてものは存在しないのです。

1万時間人間を研究して分かること

10000時間人間の本質について研究してきた研究者がたどり着く結論は、、その研究者が信じる人間像が真実だったというギャグです。その研究者が見る夢では、、その人が信じる通りに研究結果が進むのです。これは完全にギャグと言っていいでしょう。ですが全員がそのようなこの夢のシステムに支配されていきているのです。

夢ということはこの体の中の自分も本当は居ないのか???

勿論です、、この夢の中で、、実在する存在などあるわけがないのです。夢ですから。親友の中の自我も夢、奥さん、子供の自我も夢です、、ただしあまりにリアリティがあるので、、皆これを夢だとは思えないのです。ですがなぜこれがリアルに映るかと言えば、、、この夢は、、、神、真我、絶対、空と呼ばれる無限の夢だからです。

波が実は海だったという気づきは経験なのか?

最後の気づきは経験ではない

波としての人間活動が続きあらゆる経験を積んでいきます、最初は経済的欲求を求めていく、次に精神的欲求を求めていく、、、それでも全く満たされない。なぜならば自分を波だと思っているから、そしてこの波の中に自分という存在が居ると勘違いをしているから。この勘違いが苦しみを生み出しているのですから波としての波活動は全く報われないわけです。ですがその本質が分かり本当は自分は波ではないんではないか???そしてこの波の中に居ることになっている自分はフェイクなんではないか???という疑問が起き始めます、なぜ起きるのか??それは本質は海だからです、当然なのです。そうだ海だ、、は波の状態での気づきです、波が海そのものになるときにそれを経験する自我がもういない、、自我こそが波を維持してきたわけですから。この経験、波から海へのシフトは経験とはいえません。

主語が変わってしまう

波だと思っていたら実は海だった、、波を取り巻く環境の全てが自分だった、、、これは経験とは呼べないような経験でしょう。この経験とは呼べない経験が波の最終目標です、波の最終地点です。波は自由意志で動き回っていたと思っていたら実はその自由意志と呼ばれるような思考は海としてのものだった、だから時に全く上手くいかず時には上手くいくというシステム。思考は海からガンガン起こり、この波が自分だという思考もやはり起きる。そして同時に常に閉塞感、違和感、孤独感が起き上がります、海から。

孤独感が起きるのがおかしいのだ

簡単にお伝えすれば波として完全分離しているならば孤独感が起きるっておかしいのです。完全分離したらその状態がパーフェクトなのだから「足りない」という感情、「寂しい」という感情が起きるわけはないのです。つまり孤独感こそがこの波が自分という思い込みが真実ではないことを教えてくれているのです。私は波として完全独立しているという思い込みこそが孤独感を生み出す最大原因なのです。

不快感が生まれることがおかしいのだ

もっとこういう生活がしたい、できればお金が欲しい、できれば高級車が欲しい、できれば別荘が欲しい、できれば有名人になりたい、できればインフルエンサーになりたい、できれば人気者になりたい、、、全部全部波だからこその願いです。波が波として完全独立したらこの世界は完璧の鏡ですから欲求不満なんど起きえないのです。波という状態、そして波が独立しているという思考が真実は異なっているからブザーが鳴り続けているのです。それが不快感です。

エックハルトトールの功績

スピの部分を一切排した

エックハルトトールは悟りブーム、非二元のブームの火付け役です。彼は専門用語を一切排してエゴの特徴だけを説明していきます。自我、エゴの特性を説いていくだけでなぜ人は悟りに至るのか???それは我々がいかにエゴ、自我の動きに無頓着で無警戒で無意織かということです。つまりその存在を認識さえしていないぐらいに当たり前になってしまっているのです。

そうか、エゴってあるよね???

人間の苦しみは間違いなくこのエゴが大きく大きく関わっています。例えば恥をかいてしまい死にたくなるぐらいに悩む、、、としましょう。。。恥をかく、プライドを傷つけられた、、当たり前ぐらいの感情ですが、、ここに大きくエゴが関わっているのです。もしもエゴが肥え太っていないならば、、死にたくなるようなことにはならないでしょう。つまりエゴの大きさによって全く気にならない、と死にたくなる、、ぐらいの差がでるのです。 

人生の苦しみって結局エゴ次第

これだけ文明が進化したにも関わらず人類はストレスを手放すことができたのでしょうか???答えはNOです。ストレスは増大傾向にあるのです。つまり物質的豊かさは人類を救ってはいないのです。では精神的豊かさは今後人類をストレスから解放するのか???しません。YOUTUBEが発達し今子供は朝から晩までYOUTUBEを観て過ごすことができます、ストレスないですよね????そうじゃないんです、飽きるんです、YOUTUBEによってエゴが刺激されて新しい衝動が起きます。

豊かさを追いかける足算ではなく本質を理解する時代へ

物質的豊かさを追いかける時代が終わり精神的豊かさを追いかける時代に、、それでも幸福にはなれない人類は次に構造を理解する時代に入ります。構造とは実は自分など存在せず、自由意志など存在せず、見えるこの世界ただ一つしかないことを知る時代です。真実に近づく時代に入ったのです。

意識をどこに向けるか

人間は見えない世界について一日中考える

あの時友人にあんなこと言っちゃたなー友人はそのこと気にしているかー。そういえばあの友人に最近連絡してないけど起こっているかなー、そういえば旦那に今日必要ないこと言っちゃったっけ、会社で機嫌悪いのかなーです。人間は今目の前の現象ではなく見えない世界のことばかりをやたらと考えて思い悩み1日を終えるのです。ですが本当は見えない世界では何も起きていない、無です。

重要なことは今目の前に起きること

今目の前で起きることは確実に起きています、幻想として、現象として。そしてその現象によって体験が積み重なっていくのです。本当は体験しか起きていないの現象自体は幻想です、ですが体験(見える、聞こえる、感じる、香る、触れる)は真実です。体験という物質ではない真実だけが積み重なっているのです。これだけが事実です。世界はあるがままの表現でありそのあるがままの表現の中で経験だけが起き続けているのです。それ以外は全て幻想です。ですが少なくとも今目の前に起きる幻想は事実ですからそことしっかりと付き合っていくのです。

その現象が現れた時に楽に付き合えれば良い

重要なこと、それは今目の前に居ない相手が現象化して現れたと時に楽しく付き合えること。そのためにこの真実を理解することです。今起こっているかな、今機嫌が悪いかな、今恨んでいるかな、、と悩むよりも真実を理解して軽く軽くなっていくのです。するとその相手が現れた時に気軽にフランクに付き合えるのです。とはいえこの体には自由意志も自分も存在しないのでそういう流れになるかは神のみぞ知るです。

物理的失敗時に気づくこと

何も変わらない

物理的成功時にはお金がなくなってしまったら相当ひもじい精神状態になるのでは???です。ですが実際にそのような状況に置かれてみた時に気づくのです、意外と何も変わらないと。お金とはあれば使いたくなるものですが無ければ使いたいという欲望がないので何かを買いたい、使いたいという欲求が減るのです。結果欲求不満にはならない、、となります。多くの方は今ここで感じる違和感の理由を物質的な何かのせいにしたがるのです。お金が少ないから、家が狭いから、旦那が気が利かないから、、と。ですが本当は本当はこの違和感は「自分」というこの存在自体が生み出したものなのです。

物理的失敗時に気づく

物理的失敗時に、、対して何も変わらないや、、、だからこのままでもいいや、、とはならない。。やはり自分という存在から発せられる違和感、孤独感、苦しみは常に続くのです。。経済的失敗がこの違和感の理由ではなかった、、このことに気づくだけです。ですからこの時こそチャンス、本当の本当の違和感の原因を解消に意識が動くのです。ただし自分を無くそう、自分を無くそう、、、という努力は、、自分にとっての目標になるので自分を強めます。

自分を無くそう!も画面内の努力

マリオが、、、苦しみの原因はマリオ自体だったと気付いて、、、マリオを画面から消そう、消そうという努力をしてもそれは画面内での努力になります。努力をしているのは誰ですか??マリオです。自分の尻尾を捕まえようと動き回る狐のようです。そうではなくマリオが全体に再吸収される仕組みに気づくのです、そもそもマリオの中には自分は居ないんです、居ないことを理解すれば居るという錯覚は消えます。誤解を解くだけです。