結果とはどのぐらい無我になれたかの結果発表ぐらいに思っていればいい

多くの方は結果を求めそこに対していかに要領よくそこに至るかに頭を使います、地頭が良い人ほど要領よく世の中を渡っていくことになります。ですがこれではタスクをただ速やかに処理しただけ、そこに無我になれる余地はありません。それに対し達人はこのタスクを無我に入るための機会、チャンスに利用します。達人は全てのタスクを無我に入るための道具にします。だから達人はいつも機嫌が良い、いつも至福を感じて入れるのです。達人にはやらなくてはならないタスクはなく、全てが無我に入るためのチャンスになるのです。

何をしても満足できないのは無我に入れていないから

会社で昇級したのに、良い条件で家を購入できたのに、びっくりするような金額を手に入れることができたのに、、何を達成しても満足できないのは自我の働きです。自我が蔓延っていて不足を生み続けているのです。自我とは分離意識です、大いなる存在から分離した感覚これが自我です。この自我意識が強烈な状態で至福に至ることはありません、全ては一時的な快楽でしかないのです。ですから何を達成しても満足できない、快楽ジャンキーになってしまうのです。人間が唯一至福に至れるのは人間であることを忘れる以外にありません、そもそもの人間という設定を忘れときだけ至福に入れます。無我夢中になれたときだけが至福の状態であり、自分が成し遂げた、自分は金持ちだ、自分は人気者だ、自分は成功者だと自分を感じている間は至福から遠ざかり快楽ジャンキーに戻っています。

人間=快楽、苦悩の狭間を動くメカニズム

人間として至福に至る、人間として悟りを開く、人間として神になる、、、これは無理ゲーです。なぜならばこの自分は人間であるという感覚こそが不足感、欠乏感を生み出しているからです。人間として至福に至るというのは矛盾しかないのです。ですから我々人間は先ずは無我夢中になることを見つけそこから無我、至福、悟りに至る癖付けをする必要があるのです。これが茶道、剣道、合気道、弓道といいった日本古来からある道教の真髄です。勝った負けたはこの真髄に比べればデザート以下の存在です。