悟り

ノンデュアリティすらも思考の餌に

本当は誰もいない?????

ノンデュアリティメッセージ、悟り系のメッセージは難解です。そのためこれを聞いた本人は何度もそれを思考の中で捏ねくり回し理解しようと頑張ります。ですが思考でこれを理解しようにも全く意味が分からない、、、そこで数学の問題を解くように次の人生課題にされてしまうのです。思考の世界、マトリックスの世界での餌にされてしまう可能性すらあります。

ノンデュアリティをイメージする?????

ノンデュアリティとはイメージできる世界ではないんです、、、全てのイメージが消え去った時に現れるのがノンデュアリティです。だから今からノンデュアリティをイメージしましょう!!!というのはおかしなことなのです。ですが本を読めば誰でもノンデュアリティってこんな感じだろうか???あんな感じだろうか????となります。ノンデュアリティをイメージするって不可能です、、、イメージは全て嘘ですよ!!というのがノンデュアリティです。

呼吸法

悟り本、ノンデュアリティ関連を書籍を読む時は言葉で読むのですからイメージするしかありません。言葉とはイメージを作りだす道具です。ですからこれはどうしようもない、、、ですがよく分からないからひたすらにさらに読むではイメージの世界から抜け出すことができないんです。イメージがある程度湧いたならば、、、次は実践です。イメージを落とす実践です。それが呼吸法や瞑想法になります。

狂う雑念

右手で何かを掴むまでは

雑念から焦点を外そうとしますと狂ったような抵抗にあいます、見事なまでの抵抗です。意識はこの思考に意識を集中させてこの体を生き伸ばせてきましたから、、勝手に思考から手を離すなどするわけがありません。この体のセーフティーネット=思考です。ですから思考を止めて、、、などのスローガンは無意味、無策、無駄です。そこで重要なこと、、それは理屈でまずは、、なぜ雑念に意識を意識しなくていいか???雑念がなぜ無駄か???を理解することです。頭でははっきりとその無駄を理解できますと、、あとはエクササイズで取り除くことに専念できます。

思考を一生無くすのではない

思考が悪いのではないんです、、思考集中モードが苦しいということです、、、勝手に次から次へと雑念が湧くのが苦しいのです。この状態が悟りの正反対の位置にあります。悟りとは思考からの脱却です。そしてこの社会では勿論思考は必要になりますから、、思考は使うべき時のみ使う道具に戻します。そのためには意識を思考に集中させることを辞めさせます。

思考に毒されているかの確認

思考法、瞑想などをやると、、、自身がどれほど思考に毒されているかが分かります。つまり思考が勝手に湧いてくることに嫌でも気付かされるのです。これがまず第一段階です。自身の思考中毒に気づくことが重要です。次に呼吸法、瞑想をやっていきますと、、明らかに視界が変わっていきます、、、この変化に気づくことが第二段階です。第3段階は、、、何か作業をしている時、仕事をしている時に、、、シーンと静まりかえった中でそれが行われていることに気づくことです。つまり全く意図せず静寂の中にいることができるようになります。

なぜ美味しいものを食べたいか知ってますか?

思考から胃袋に焦点がいく

食べると幸福感に包まれますよね????むしゃくしゃが止まりませんか????そうです、、、食べた瞬間に意識が思考から胃袋にシフトします、、頭部から腹部に意識が外れ、、、その瞬間思考の渦が止まるんです、雑念が止まるのです、その瞬間は悟りに入るのです。これが欲しくて、苦しみから一瞬でもいいから逃げだしたくて人は食に走るのです。

タバコもお酒も

世界の嗜好品というのは、、思考に集まった意識を他に外させるためのテクニックです、、思考に意識が意識し過ぎますと、、、「苦しい」が続くんです。この状態から逃げ出すために食事、タバコ、お酒、チョコ、ケーキがあるのです。だからこれは悟りを理解している人の行動なのです。思考に意識が集まりますと、、その間ひたすらに思考が作り出す幻想の中に閉じ込められます、、これが緊張と孤独を生み出すのです。

意識的に思考から意識を外す

つまりつまり意識的に思考から意識を外すことができれば、、、お酒もタバコも、食事も、甘いものも要らない、、となります。そうです、、、我々はもう嗜好品に頼らなくていいのです。ではどうするか????呼吸法です。呼吸を意識に意識させるのです。呼吸はどこで行われていますか????思考の中ではないですよね????つまり呼吸を意識するとは思考から意識を外すことなのです。これによってそこに居て苦しみを消すことができます。

全員が最短最速で悟りに向かっている

犯罪者も成功者も

犯罪者も成功者も全く同じように最短最速で悟りに向かっています。最短最速以外の道が用意されていないのです。なぜならば人間はデータ上ベストな選択しか選択できないという自由意志に支配されて行動していますので毎日毎日それに則って経験をさせられているのです。つまりそこには実は主体性は一切なく完全な受け身です。犯罪者ですらもそのような法則に則って経験をさせられています。だから重要なこと、、人の行動を判断するのは無駄です、そして自分の行動を判断するのも実は無駄です。

経験の先にあるもの

この私、自分が居るという想定の動きの中にいる時、、、苦しみ、緊張、孤独が必ず伴います。ですからそこから逃げようとする動きが必ず起こります、、、それが私前提で動く場合、、実はこの苦しみがなくなることはありません。そのことに気づくまで最短最速であらゆる経験を積まされるのです。全観念(思い込み)が観念(お見込み)であることが分かるまでこれは続きます。そして最後にこの体の中に私が居るという観念(思い込み)が落ちるのです。そこが分かるまで最短最速で人は経験を積まされます。

初心者は9面には行けない

スーパーマリオは初心者がいきなり9ステージまで進むことはないです。必ずその人のスキルにおいてギリギリのところ、ステージで止まり、、そこでの右往左往が起こります。これは人間も同じ、、その人の気づきステージのレベルで右往左往が起こるのです。経験をがっつりさせられます、、ですから全くもって無駄はなく、、完璧な配分でこの経験は進むのです。ラスボス「私」が徐々に徐々に近づいていきます。

後悔する心配するも罠

自由意志ががっつりある、、、、こう信じるステージが着実にあります。このステージでは後悔、心配を繰り返しまくるのですが、、それこそが最短最速で起こるのです。全く無駄はありません、、マリオに熱中しマリオに成り切るのがベストな時期があるのです。その時は人一倍心配し、後悔するのがベストなのです。我々はデータ上ベストな選択しか起こせないように設定されていますから何も心配せずに、、心配後悔を繰り返せばいいのです。

ベストを選択し続ける機械

我々の自我の特性

私はこの人生において一回たりとも失敗をしたことはありません、、、なぜならば私とは過去の経験からもっともベストだと思える選択をし続ける機械だからです。一回たりともベストではない選択をしたことがないのです。そういう意味では人は一回もミスをしていないし、、、そしてこれからもミスをすることはないのです。ただしその選択を後悔するという動きは今後も続きます、、、ですがどれほど後悔しようと、、ベストしか選べないという点で何もそこを動かすことはできないのです。

ところが

自我はベストしか選択することができない機械です。ですが、、、と同時に自我が存続し続ける限り我々から苦悩が消えることもできないのです。ベストを選択し続ける機械は「自分」という存在ありきでベストを選択し続けていきます。ですがどこかでその自分が居ないという気づきが起こる場合があります。自分がベストを選択し続けてきた結果この先には至福がないという気づきが起こるのです。

すると

する次は、、この自分という存在が嘘だということを見抜くことがベストだという気づきが起きます。そしてまたその上でのベストな選択が今後も続いていくのです。悟りが開くまで、、、我々はベストしか選べないこの機械『自我』と共にあります。ベストしか選べないのが自我であるという気づきは多くの癒しを起こすはずです。相手の行動はベストを選んだ結果である、そして「私」の行動もベストを選んだ結果であるという気づきです。

言葉にならない

この感覚は言葉を超えている

悟りって本当は言葉にならない世界です、、、なぜならば体験したことない感覚、、、感情ではないから、、こんな気持ちになるよ!!!じゃないんです。気持ちとは全然違う感覚がただ漂う感覚、、、これが悟りです。そしてそれを味わう自分が居ないんです、、、自分がこれを味わったから、、、誰かにも一緒の感じを味合わせたい、、、でもないんです。そういう衝動も消えてしまい、、最初から悟りしかなかったんだな、、、という拍子抜けでもあります。

戦いの余韻

さっきまでとんでもない殴り合いをしていたにも関わらずそれが急遽終わった感覚、、、シーンと静まりかえりながらも何か戦いの余韻が残る、、、でもこれって戦いがあったからこその余韻だよね。本当はシーンがいつもあってそのシーンの上でこの戦いはいつも繰り広げられていました。そして振り返ればその戦いも悪いもんでもなかったという感じです。だってその戦いがなかったら今ここには居ないから。

静寂が気持ちいい

一度でもこの静寂の気持ちよさを知ってしまったらもう執着には興味がなくなります。地位、名誉、お金、それらは便利で刺激はあるかもしれませんがこの静寂とは何も関係がありません。最高のパートナー、、それは自身を絶対的に安心させてくれるし刺激はありますが、、、それとこの静寂とは全く違うものです。だから早く味わってしまうが勝ちです。

湖の上での生活

悟りとは

悟りとは湖の上で生活しているような感覚です、、何をしていても静かなんです、、、シーンと静まりかえった感覚がいつもある状態、、、この状態は感情ではないです。感情は湧いては消えていきますが湖の上のような感覚は、シーンとした感覚は感情がない状態です。一度この状態を覚えますと、、嬉しい、幸せ、ハッピーみたいな刺激はどうでもよくなります。そんなことよりもシーンとした静寂にいつも包まれていたい、、そのような衝動に駆られます。包まれていたいという表現は間違い、、、包まれるというよりもシーンが広がっていく感覚です。

シーンを意識的に作る

シーンって意識的に作れます、、信じられないかもしれませんが出来ます。頭に意識が意織している時、、シーンは起きません、、、、思考グルグルが起き続けます。雑念ガンガン、雑音ガンガン状態です。この状態が苦しいのです。一方意識が頭にない時、、、シーンが起きます、、、体験したことないだろうシーンが起きるんです。つまり意識を思考、頭に意識させないようにすればOKです。

呼吸法

呼吸法は誰でも簡単にできる意織シフトツールです。呼吸に意識を向けますとそれは完全に頭ではない、思考でもないところに意識が意識できます。呼吸を深く行い、その呼吸に意識をしっかりと向けることで意図的に頭から体、下腹部に意識をシフトできます。思考が湧いたら呼吸法、思考が湧いたら呼吸法です。シーンがデフォルトになるまでこれを行います。

悟りの勝利

全人類が敵???

悟りに関して言えば、、完全なる孤立無縁状態、、、この状態で戦うことを楽しめないと難しいでしょう。なぜならばマトリックスの世界で苦しむ人々は、、、、ここから出られることを嫌います。一人だけ何楽な世界に行こうとしてるんだ!!!です。そして悟りを開いた?????嘘に決まっている、気持ち悪い、、、という反応を示すでしょう。スクリーンの中に閉じ込められた人々にとってここから出るというアイデアはパニック以外にないのです。

静かに静かに

だから悟りは声だかに宣言しては駄目です。。。静かに静かに水面下で開きます。エージェントスミスの手口を完全マスターし、、、今どのような手口を戦っているかを理解していきます。スーパーマリオの100倍面白い戦いが始まります。だって周囲は完全に盲目、無知、勘違いですから、、、その中で悟りを開くって最高に面白いのです。

手当たり次第に

煩悩がまだ残っていればその煩悩は全部現象化して「私」の前に現れるでしょう、、、それらから逃げるのでなく体験していきます。。。なるほどこんな感じね!!!です。つまりこのゲーム、幻想は悟りがゲームクリアですがだからといってワープが素晴らしいのではないのです。何も体験しないではい悟り!!、じゃないんです。経験したいことは根こそぎ経験でいいんです、、、ですが重要なこと、、その経験が苦しみから救ってくれることはないということです。苦しみの解放は悟り以外にありません。

エージェントスミスの最後の逆襲

幻想ではない

エージェントスミスは、、、多くの場合現象としてあなたをマトリックスの世界に閉じ込めようとします。試しに悟りを真剣に開こうと思うと友人家族会社で言ってみてください。。。99%が怪しい目で見てくるか、バカにしてくるか、、嫌悪感を出してくるはずです。つまり応援者はゼロだということです。応援者ゼロの中で悟りを開こうとうする勇者は少ないです。つまりこの戦いは先ずは孤独に耐えないと不可能なのです。

孤独に戦えばエージェントスミスは消える

悟りについて誰にも話さなければ、、エージェントスミスは一切現れません。話をして初めてエージェントスミスは登場します。孤独に耐えながらこの戦いを進めていきますとかなり深く理解できるようになります。ところで多くの場合、、、、思考を使った悟りの理解は進めでしょう、、、覚者の本を読む、YOUTUBEを見る、ブログを読む、、、これらはスムーズに行くものです。ですがエクササイズになると途端に止まります、、なぜかやらしてくれない、、、。

もっと簡単な方法あるかもよ????

エクササイズになった瞬間、、、、思考がざわめき出して、、、やめた方がいい、、、もっと簡単な方法あるかも、、、面倒じゃん、、、、となります。心の中で途端に面倒臭いの大合唱が起こるのです。これぞエージェントスミスの最後の攻撃、自我の存続維持戦略、、エゴの最終兵器です。。。。思考を使わない本当のエクササイズだけはやらせるわけにはいかない。悟りを思考の中で概念の中で理解するのは構わない、、、だが思考なしは絶対にダメだ!!!!です。なぜならば悟りとは思考の世界からの脱却だからです。

深刻

マトリックスの世界は深刻

マトリックスの世界を一言で言えば「深刻」です。この思考の世界は神が作った、真我が作った、、全体が作った、、、幻影の世界、、、ここに「私」を作り出し、、、「私がこの世界を生きる」という幻影を見事に作り出します。本当には居ないにも関わらずこれを作り出したのですからこれを維持するには緊張力、保持力が必要になります、これがストレスと呼ばれているものです。分離感を保持するには「緊張」が必要になるのです。

緊張=深刻

私が存在しているという勘違いは緊張を状態化します。つまり我々は状態化した緊張の中で生きているのです。それはつまりストレス製造機として存在しているということです。悟りとはこの現象、この夢物語が嘘であることに気づき、、思考の世界から抜け出すことにあります。「私」を保持するということから手を引き、、本当はいないんだからどうでもいいじゃん!!!に落ちることです。

マトリックスを出よ!!!

マトリックスの世界から出るためにはこの思考メカニズムを見抜く必要があります。私が居て、、、あなたが居てというこの思考の罠を見抜くのです。私もあなたも方便で、、私の人生も方便、、いつしか方便が方便じゃなくなって真実であるかのように扱われるようになった、、、、だからこれは方便なんだと今思い出すのです。