恋愛

海であることを忘れた波は疲れている

海であることを忘れると思考フルスロットル状態になる

海であることを忘れた波はなぜか不足感、欠落感、孤独感が半端なく中から湧いてきます。朝起きて寝るまでこの欠落感、欠乏感、孤独感をひたすらに埋めるために思考フルスロットルで動き回るのです。そして動けば第二波、三波の感情が次々に湧いてきますがこれらは先ほどの欠乏感、孤独感が形を変えたものであることは間違いありません。なんとかしてこの感情解消のためにあらゆる手を尽くし、頭を尽くし動きますがこのイタチごっこは半永久的に続くために徐々に疲弊してくるのです。よって人間はどこかで中毒対象を見つけ出し中毒行動でこれを乗り越えようとするのです。それが恋愛だったりTVだったりゲームだったりギャンブルだったりお酒だったりです。

なぜここまで何かに中毒になるのか?

この夢物語の中では常に不足感、欠落感、孤独感が襲ってきますからいかにこの感情を沈めるかに思考はフルスロットルになります。結果多くは何かしらに中毒になることでこれを乗り越えようとします。それをしている間思考を削ぎ落とせるような何かを求め続けるのです。人間にとって中毒とは現実逃避ではなく全く意味がわからないこの欠乏感、喪失感、孤独感を感じなくさせてくれる助け舟なのです。そしてこの思考の削ぎ落としを中毒ではなく全ての人間活動の所作からそこに入れますと夢物語から常に抜け出た次元にシフトできているので欠乏感を感じずにいられるのです。どのタイミングでも意識、気づきの意識に戻れる人は中毒とは無縁で生きられます。

この夢物語では湧き上がる欠乏感を中毒ではなく、思考フルスロットルでもなく、見抜くことで解決する

もしかしたらこれは誰かが見ている夢なのか?そのような疑問が湧いてきたらこの夢から覚める準備ができています。夢を見ているのは主人公ではなくこの夢をただ認識するものです。これまでこのただ認識するものにあらゆる名前をつけてきました。神、ブラフマン、キリスト、仏、空、、、名称は多くの場合この夢の登場人物達によって誤解されていきます。このただ認識するものがこの夢を見ています。湧き上がる欠乏感を主人公のモノと勘違いさせ主人公を右往左往させ時に積極的に時に消極的にこの欠乏感を埋めることを目的に動き続けさせてきました。何かに中毒になっても相決するわけでもなく、思考フルスロットルでも解決はしません。これが夢だと見抜き俯瞰することで深刻さを根本から無くしていくことでこの夢物語から認識するものが覚めるのをただ待つのみです。

苦しみ、欠乏感、孤独感から逃げるのではなく、、

なんとか誤魔化してこの夢物語の欠乏感、喪失感から逃げ続けるのは至難の技ですからそうではなくこれに向き合うこうことが重要です。準備ができた登場人物はこの喪失感に向き合うことでそこから無心に入る、無我に入る、全存在に入っていきます。喪失感の根源は自分自身そのものであり外にこの解決を求めても無駄です。自分自身が全存在であることに気づく以外この戦いは続きます。

海であることを忘れた波は恋愛が好き

恋愛はお互いを特別視する約束

恋愛とはお互いを特別視する約束です。海であることを忘れた波は自身を特別視してもらうことを願います。それは自身の存在がここに在ることを強く実感できるからです。世界中の中で自分を選んでもらったという感覚は自我にとっては最大級の自己肯定になります。なぜ絶対にあるはずの自己を改めて肯定してもらう必要があるのか?それは自己が偽り、嘘だからです。自己とはこれが私自身だと宣言するエネルギーでしかありません。分離とは全体から無理くり独立しようとするエネルギーの働きでしかないのです。ということでこの自己を世界中の中で最も価値があると異性に選んでもらうことに自我は興奮するのです。

自分を特別視してもらえなくと途端に不安になる

自我は自身を特別視してもらうことは大好きです。その瞬間自分が存在すると強く肯定できるからです。ですがこの恋愛の難しさは相手の興味関心が他人に移った時です、その瞬間自身を特別扱いされているという感覚が完璧に欠落します。自我は自身の存在を急に不安定なものに晒されていると恐怖を覚えます、少しでも雑に扱われている、甘く見られている、大切に扱われていないと判断するとその不安は相手への怒りに変異されます。相手を誠実な人間でないと非難の対象にすることで自我は逆に強固になっていくのです。自身の存在が危ぶまれると相手を非難することで自我は対立関係を作り出し自我の存続を図るのです。恋愛がなかなか上手くいかない理由はここにあります。

相手と一つになることは小さな悟り

恋愛を通じて分離した者同士が一つになったと感じることは実は小さな悟りでもあります。自身と対象が一つになった時自我は完全に消え去ります、この感覚は波が海になった感覚、人間が全存在になった感覚、分離が統合になった感覚です。豊かな恋愛は人間を悟りに誘う力を持っています。恋愛は海がこの波物語に作り出した分離統合のヒントです。ですが多くの場合この小さな悟りに自我はしがみつきこれすらも自我は自身の延命に使うのです。

恋愛依存症と自我のメカニズム

恋愛とは強烈に自我が自我の存在を実感できる安心材料

恋愛の特徴、それは特定の誰かが、自分のことを一番と認めてくれることです。恋愛とは特定の誰かがあなたの存在を他の人間よりも第一優先にするという約束です。ですから自我はこの恋愛行動が大好きなのです。自我にとってあなたが一番と選んでもらえることは自我の存在を確固たるものできたと錯覚できるのです。もしも長澤まさみがあなたのことを好きだと選んでくれたならば『あなた』という存在を強烈に感じることができるはずです。世界に確固たる地位を築けるのです。ですから自我はこの恋愛を巧みに利用します。

本来存在していない自我にとって「あなたこそ特別」は最高の言葉

本来存在していない自我は自身の存在を認めてくれる存在、自身のことを称賛してくれる存在を探し回っています。誰が一番自分の存在を認めてくれるかです。認めてくれる=存在の保障、だからです。本当は存在していない自我にとって存在を保障してくれるかのような存在は神様のように偉大な存在になるのです。あの有名な社長が認めた、あの有名な偉人が認めた、クラスで一番の美人が自分を認めた、、、全て自我にとっては涎が出るような甘美です。

恋愛にトラブルが絶えない理由

そんな恋愛の多くには別れが訪れます、それだけ自我ににとっての保存プログラムがなぜ崩壊することがあるのでしょうか。それはある人にとって特別な存在であり続けることが非常に疲れるからです。パートナーの前でオシャレを維持し、体型を維持し、収入を維持し、安定を維持し続けるのは至難の技です。ですからどちらかが先ずこの耐久レースから降りるのです、そうなればもう相手にとって特別な存在から降格してしまいますから自我は非常に苛立つわけです。特別扱いしてくれないならばもうあなたは必要ないという逆切れです。恋愛とはお互いを特別視しあうことで成り立つ関係ですからこれは維持をするのに多大な労力がかかるのです。自我を満足させ続けるのは非常に骨の折れる作業なのです。