主人公

夢の登場人物全てを支配する存在

あなたが夢を見ているときに登場人物が発する言葉の全てはあなたが決められている

夢とは?自分自身が見る夢の中にはたくさんの登場人物が出てくると思いますがその中での登場人物が発する言葉、行動の全てはあなた自身が決めているはずです。そこには主人公がいて、それにまつわるあらゆる配役の人々がいるはずです。主人公が発する言葉、行動、配役の発する言葉、行動全てをあなた自身が決めやりとりが延々と継続します。そしてあなたが夢から覚めたときにあなたが創造した夢も終わります。

この世もまさにその夢、存在が創造した夢

この世、現実と呼ばれる世界もあなたが毎晩のように見る夢と全く同じ構造でできています。主人公が思考する内容、言葉、行動の全てをあなた自身が決めているように、、、この現実社会でのあなたの行動、発言全てはこの世の創造主が決めているのです、そしてあなたの周囲にいる配役の人々、恋人、友人、同僚、両親、子供の発言、行動の全てを創造主が決めています。ではその創造主とはどこにいるのでしょうか。あなたが毎晩夢を見ているときあなたがその夢の中にはいないように、創造主もこの世にはいません。ですがその夢を見ているあなたこそが夢そのものであるように、この世は創造主そのものでありその創造主が今もまさにこの世(夢)を見ています。あなたを通じて。

あなたが見る夢に正義が不在のように、、この世にも正義は存在しない

あなたが毎晩見る夢に本当の正義は存在するのでしょうか。しないはずです、なぜならば正義とは何かが一方的に正しいという概念であり、そのような概念は夢の中では全くの無意味です。そしてそれはこの世にも全く同じように言えます。この世が存在があなたを通じて見ている夢である以上正義などは存在しないのです。あるとすれば正義と呼ばれる幻想がただあるだけです。

輪廻転生は自我の延命アイデア

輪廻転生から外れる、夢から覚める

輪廻転生、ハイアーセルフ、アセンデッドマスター、、、これらのアイデアは自我が自我としてあり続けるためのアイデアの一つです。分離ゲーム、人間ゲームを継続させるためにあらゆる設定が加えられていきます。死んだ後も輪廻は続く、そして卒業したら次のステージ、ハイアーセルフのステージがある、全て自我の延命、自我が自我としてあり続けることを可能にするためのアイデアです。

本当はこの夢だけがあり、夢が覚めればただ存在だけがある

自我があり、この体は自分自身だという壮大なギャグ、錯覚が抜け落ちれば、、そこには時間も空間もなく存在だけが残ります。輪廻転生もハイアーセルフも、アセンデッドマスターもギャグをより詳細に詰めたものでありそのディテールの細かさはアメージングとしか言いようがありません。この分離ゲームをいかに夢から覚めずに続けていけるか、ディズニーランドのアトラクションのようにそれはそれは凝った作りになっているのがこの人間ゲーム、分離ゲームの凄さです。

この夢の中では至福には至れない

夢が夢であり続けるためには主人公が至福に至り存在が夢から覚めてしまっては困るわけです。ですからこの夢では主人公に次から次に事件が起こり、良いこともあれば悪いこと、快適なことがあれば不快なこと、人気者であれば不人気者の時期があるのです。しっかりと相対の事件が起こり続けていくのです。ですから主人公にとってはたまったもんじゃありません、絶対に至福は訪れない、、延々にジェットコースターのこの世界から離れることはできないのです。夢から覚める以外は。

明晰夢とは

夢の途中でこれが夢であると気づくこと

明晰夢という言葉があります。これは夢を見ている最中にこれが夢だと気づくことです。この感覚をこの人間ゲームの最中に気づくこと。これが悟り、目覚め、一瞥体験です。そしてそれに気づくのは誰か、それはこの夢の主人公ではありません、夢を創造している存在、つまり本当の自分、我あり、です。

無我夢中の時、それでも意識があるのはなぜ?

無我夢中の状態、ゲームに没頭する、仕事に没頭する、映画に没頭する、、、このような状態にいる時意識はなくなっているでしょうか、無くなっているわけがありません。むしろ明晰、むしろ鋭敏な状態。決して朦朧ではなく意識そのものです。無我夢中なのに意識があるのはなぜでしょうか、無我なのだから自分はいないのになぜ意識はあるのか?それは自我こそが後付け、自我こそが錯覚、無意識状態だからです。自我がなくなればそこには意識だけが残るのです。この意識そのものの感覚を思い出すことこそが神、ワンネス、大いなる一つの状態です。至福の状態です。この感覚を思い出したならばこの意識で日々を送ることです、これがワンネスがこの夢を夢と理解した状態での生活、つまり明晰夢です。

何かに集中できる人はその瞬間神になっている

マイケルジョーダンが試合中に神になったとよく形容されますがこれは実は本当です。神がかったプレーと称されるその瞬間、実はそこには自我が消えていて無我だけが残ります。自我の勘違いが抜け落ちそこにが無我、神が残っています。神が意識が直接人間を動かしているのです。自我が払い退けられて状態、この状態を人はゾーンに入ると言いますがそのゾーンは意識の状態です。無意識ではなく意識しかない状態、自我が自分でプレーしているという勘違いをしていない状態です。この瞬間に意識的に入れる人は達人、仙人、悟り人、マスターと呼ばれます。神が人間ゲームを遊んでいる状態です。