主人公

強烈なストレス、、、それは夢だと気づくチャンス

毎晩見る夢でも絶対絶命の危機は夢から起きるチャンスのはず

あなたが毎晩見る夢の途中で、、絶体絶命の危機、強烈なストレス的状況、、、これは夢から覚めるケースあるはずです。夢から覚めちゃう時って、、幸福の極みではなく、、ストレスの極みが多かったりしないでしょうか。これって自我が強烈に緊張し、、緊張の極みから、弾ける、、陰が転じて陽になる、、陽が転じて陰になる、、自我が緩んで我(ワンネス)に返る。夢の中に自分から、、、、自分に返る。。。こんなメカニズムです。

この夢、ワンネスが見る夢でも、、、

主人公である私が絶体絶命のストレス状態にある時、もうどうでもいい、、こんな人生なんて終わってもいい。。こんな状態のとき、、自我が壊れてきています。強烈なストレスのエネルギーで自我が壊れる、、、これって要はワンネスが見る夢劇場が壊れる瞬間です。夢から覚めワンネス(主人公としての)がワンネスに戻る瞬間。主人公を主人公たらしむ自我がこの夢劇場のストレスで歪みが入り、ヒビが入り、ワンネスに戻る。

とは言え簡単にはいかない、、、

強烈なストレスがかかった時に自我にヒビが入ります。この心身こそが自分自身であるという思考を支えるエネルギーが弱まります。自我はそのまま崩壊するか、その状況を逃げるか、、、勿論逃げるケースが圧倒的に多い、、それが引きこもり、不登校、転職、廃業、など今までの行動を辞める自我の働きになります。ですがその逃げ場もなかった時には自我が崩壊しワンネスに戻る、、夢から覚める、、これが一瞥体験、気づきの一瞥、覚醒体験と呼ばれる多くです。

一生忘れられないような嫌味を言われても、、

夢の中での発言を気にするのはおかしい

これは夢です。ワンネス、大いなる一つが見る夢です。この夢の中であなた(主人公)が他人(脇役)から一生忘れられないほどの嫌味、悪口、暴言を言われてしまったとしてもそれも夢の中での出来事です。そうしたのはワンネスです。脇役(他人)に何の自由意志もありません。だからこそムキになって言い返す必要はないのです、もちろん思いっきり言い返してもいいのです。ですがどちらも夢の中での出来事です。半沢直樹よろしく三倍返しにしても大丈夫です、ですがそれも夢です。

命を狙われたら

何かとんでもないトラブルに巻き込まれて命を狙われてしまったら、、、迷わず警察に通報してください、、、夢ですがやっぱり痛い思いはしたくないですよね。夢ですが痛覚はガンガンにあります。刺されたら強烈に痛いです。夢ですが。五感は全開です。夢ですが飲み屋で人に絡めば普通に殴られます、、、そして痛いです。夢ですが路上で猥褻行為をすれば普通に捕まります。そして普通に留置所に入れられます。

夢ではあるが、、五感全開

これは夢です、、夢だからといって全く寝ないで仕事したり、、長距離を無理して歩いたり、、三日間食事をしないなど無理をすれば普通に疲弊します。この夢はスーパーリアリティーショウ。五感全開です。自ら不快なことをする必要はないのです。

「自由意志はない」は本当?

夢の中のキャラに自由意志はあろうはずがない

これは夢です、ワンネス、大いなる一つが見る夢です。この夢のキャラに自由意志はあるのか?という話題はこのスピリチュアル業界では常に話題の的です。結論から言えばキャラには絶対に自由意志はありません。あなたが毎晩見る夢であなたの許可なく自由に発言する脇役、主役が存在し得ないようにこの夢、現象界と呼ばれるワンネスの夢において自由意志を持つ者などいるわけがないのです。夢ですから。だか今もこの瞬間に自由にこの文章を書いているこの「私」の自由意志をどう説明するのか?それは簡単です。自由に書いていると勘違いしている人間としての「自分」とワンネスがセットになっているのです。ワンネス即主人公です。主人公はさも自分が全て考えている、動いていると感じています。ただそれだけ。毎晩見る夢で散々やっている「あれ」です。

夢の中のキャラに自由意志はなかったが。。。。

「あなたに自由意志はないんです!!」喪黒福造の例のあのズバババ、、、並のインパクト。一気に自身を失うこの言葉。尊厳はないのか?価値が一瞬にして貶められているようです。ですが安心してください。キャラ(主人公)としては一切自由意志はありませんが制作総指揮(ワンネス)としては主人公の発言、行動どころか全部決めています、脇役のセリフまで全て。今もこうやってブログを書いている私(主人公)の全てを今決めています。だから自信をなくすのではなくむしろ自信をさらにつける必要があるのです。主人公だと思っていたら実は制作総指揮だった。。。というオチ。

自由意志はない、、、

これを書くとブログは一気に人気がなくなると言われています。やはり人間様にこの言葉を伝えるのはご法度なんでしょう。自由意志を取り上げられれた人間に何の価値があるのか?という話ですよね。これはこの夢物語では絶対に言ってはいけないNGワードです。舞台の上映中に主人公が脇役にこの言葉を言ったその瞬間、舞台の他の役者は凍りつきます。舞台中に絶対に言ってはいけない言葉なのです、、最も空気を読めない奴の言葉「あなたに自由意志はない」ですがこれは夢ですから、、、誰にも自由意志はないです。それでも自由意識はない。それでも地球は回ってる。

「自分は特別な気がする」は当たり前

特別も何もこの夢の主人公

あなたはこの夢の主人公です。この夢、ワンネスが見ているこの夢の主人公があなたです。ですからあなたが見ているこの現実、視界に広がる現象界においてあなた以上の存在はありません。あなた以外は脇役、チョイ役、いても主要キャラぐらいのものです。だからこそ自分こそ特別、自分だけは何か違うと感じるのは当たり前です。全員平等、全員が特別、人を比較してはいけない、、綺麗事は色々ありますが自分(主人公)以外は全て夢の登場人物に過ぎません。

主人公すらも夢の登場人物に過ぎない

この映画、夢はあなたの視界とセットで広がっています。あなたの聴覚とセットで広がっています。あなた目線、あなた五感で広がっています。ですから他の登場人物とあなたが同価値であろうはずがありません。あなたがいなければ他の登場人物は存在できないのです。だからこそ他の登場人物から何か誹謗中傷を受けても気にする必要はありません、所詮は脇役の主役への嫉妬です。あなた無しでは存在できない脇役の戯言など気にするほどの価値はないのです。ただしあなた(主役)すらもこの夢の登場人物でしかないことも事実です。

あなたを認識しているのがワンネス

今もこのブログを書きていると意識している存在がいます、私がこのブログを書きている、それを認識する、気付いている存在が間違いなくいます。食事をしても、仕事をしている時も、会話をしている時もそれを見ている、気づいている存在、それがワンネスです。この夢を見ている張本人です。この夢の主人公であり脇役であり、全てを認識する存在です。

思考の優劣という不毛な勝負から抜ける

人間ゲームは思考の優劣勝負

これは夢です、ワンネスが見る夢です。この夢の中では登場人物は思考の優劣勝負を頻繁に起こします。偏差値勝負、学歴勝負、要領勝負、出世勝負など、、これはどれも思考の優劣を勝負しているようにも見えます。この思考勝負の弱点は思考こそがこの自分(主人公)を夢の中に閉じ込めるツールだということです。思考を駆使すればするほどに自身をこの夢に閉じ込めます。夢の中は不足感、欠乏感、孤独感を湧き出し続ける空間です。時間、空間の世界とは不足感製造時空間なのです。

思考は観念であり夢物語を書き換える

これは夢です、その中で思考はこの夢物語の書き換えを行います。この世界はこうなっているという思考はそのままこの世界、夢を書き換えていきます。ですから思考には力があります、思考とはそのような力があります。ですがこの夢物語に居る間は不足感が湧き出してきます。それがあらゆる欲望に代替され人間はその欲望を叶えるために動き続けるのです。どこまで行っても夢物語の中で至福に至ることは絶対にないのです。常に欲望を叶えるために動き続けるのがデフォルトです。

崇高な欲も下衆な欲も所詮はワンネスの代替品

これは夢です。そしてこの夢の中にいる限り不足感を湧き続けて生きていきます。この不足感はあらゆる欲望として代替されていきます。ワンネスが見る夢ではワンネスは人間に生まれ変わっているのですが同時に不足感を抱えます。広大無辺なワンネスがちっぽけな人間としてこの夢を生きるのですから当然です。そうなると人間はあらゆる欲望を抱えることになります、ワンネスの代替品を求めて日々動き回るようになるのです。その欲望は崇高なものから下品なものまで様々でしょうが全てはワンネス、大いなる一つの代替品に過ぎません。

ノンデュアリティーを個人が情報として取り組もうとしてもダメ

悟りは個人が幸福になる情報ではない

非二元の情報は、個人が幸福になるための情報ではありません。その個人がいないという情報、メッセージです。夢の中の主人公が幸福になることではなく、これが夢だと告げるメッセージです。個人が一生懸命をこれを理解して幸福を勝ち取るのはこの夢物語のサクセスストーリーの定石です。ですがこれはそれでは至福には至れません、という全否定のメッセージです。夢の中での主人公の努力を尽く否定するメッセージです。もちろんこの夢自体がワンネス、空の表現ですしそこでの主人公の経験は全部ワンネス、空の経験です。そこに何一つ間違いがないのも事実です。ですがもしもこの苦しみを終わらせたいならばこれが夢だということ、見ている現実は実在しないことを諦める必要があります。

私がいてあなたがいる、、絶対に嘘

私がいて、あなたがいる、、、本来は一つのエネルギーの表現ですからこの二人いるという感覚は間違いなく錯覚です。私という生命現象とあなたという生命現象がある、、二つの分離した実態がある、、これは完全に錯覚です。本来は一つのエネルギーしかありませんから。分離体験、個別体験は間違いなく錯覚です。この錯覚が今起こる苦しみ、不足感、欠乏感を生み出しています。分離体験は錯覚ですが間違いなく認識できます。ですがこの認識が不足感、欠乏感を生み出すのです。

至福か不足体験か

夢の中でこの主体客体の世界に居続ける限り苦悩、不足、孤独は永遠に続きます。もしも夢から覚めて主体客体の世界から抜け出たならば苦しみは終わります。主体客体の世界、そこに独立した物がありそれを独立した自分が手に入れるという世界が錯覚であることを見抜くことです。そうすれば不足感、欠乏感の根源に迫ることができます。ですがそこに迫るのはこの夢の主人公(私)ではなくただ認識が迫るのです。

夢物語の絶対条件、不足感

不足感から逃げるか、不足感と向き合うか

これは夢です。そしてこの夢の中では常に不足感が湧いてきます。この夢の中で生きている限り不足感から逃げることはできません。この夢を創造するワンネス、夢そのものであるワンネスはその中に自分(主人公)という小さな小さな存在を作り上げました。この小さな小さな自分の構成物質はワンネスですから自身が実はとてつもなくかつては大きな存在であったことを知っています。にも関わらず今この夢の中にいる自分(主人公)はあまりにも小さい。そのためこの夢の中で主人公でいる限り不足感、欠乏感が次から次へと湧いてくるのです。多くの方はこの不足感とどう向き合うか?逃げます。友人とのおしゃべり、TVゲーム、雑務、忙殺、タスク処理、、、不足感から逃げ切って人生を切り抜けようとするのです。そしてこの作戦に限界を感じた時に病死もしくは自死を選びます。

不足感から逃げずに立つ向かう

不足感を生み出しているのはこの夢の中で主役を張っている時です。主役を張るためにはこの心身こそを自分自身だという思考を維持し続ける必要があります。本当はワンネスそのものであり、一時的にこの夢物語に閉じ込められた主役を演じているだけであってそれは偽りの姿です。偽りを維持し続けるためには常にこの思考(自我)を維持する必要があるのです。逆に言えこの自我を手放すとワンネスに戻ってしまいます。夢物語の中からポコッと抜け出てしまうのです。不足感と向き合う方はこれをやります、何かに真剣に向き合う、集中する、誠実に取り組むことで思考を止め、自我を落とし、その場で無心、ワンネスにシフトします。これで不足感を解消します。

最終的にはそこから夢を覚ます

いつでも夢から覚めた状態に戻ることができる主人公は夢物語に居ながら夢の外にいつでも抜け出ることができます。本当は夢から抜け出る主人公はいないのですが主人公をその場で消し去ります。いつでも自分(主人公)を消し去る感覚を覚えていきますと無我、大いなる一つ、真我、ワンネスの状態が根付いてきます。夢から出た状態です、時間や空間に作用されずそのままで歓喜、幸福、安堵になってしまうことです。

もしも事件が何も起きない一年があったら

TVのワイドショーで一年間事件が放送されなかったら

こんなことは絶対に起きないのですがもしもこの夢の中で一年間事件が全く起きなかったら登場人物、主人公は退屈になりこれは夢なのかもと気付く人が増えるかもしれません。毎年毎年のようにあらゆる事件が起き続けるこの夢は主人公を一切退屈させないように緻密に完成されています。その狙いはこれが夢だと気づかせないこと、このワンネス総指揮夢物語にどっぷりと浸からせることにあります。

究極の脱落者も、究極の成功者も夢の中で登場させ上下からプレッシャーをかける

TVを見ていれば究極の脱落者、究極の成功者がたまに出演します。何かをして大失敗してこんな生活になってしまった、何かにチャレンジしたら運良く大成功できた。主人公である私はこれらの人々を見て色々な刺激を受けます。絶対に脱落したくない、絶対に成功したい、、こうしてこの夢に没入できるのです。脱落、成功という両面から主人公にあらゆる刺激が加わり主人公は右往左往できるのです。

ワンネスは夢から覚めるという最大の感動を最後に用意する

これだけの緻密なストーリーをワンネスが用意するのには理由があります。それは先ず完璧である存在が完璧でなくなるという経験です。経験自体は完璧です、ですが不完全であるという錯覚を経験できるという経験を積むことができます。そして完全が不完全を経験し尽くした後に実は自身は完全だったという最後のどんでん返しが待っています。完全が不完全を体験し最後に完全だったと再確認するこの長い旅は感動で終わります。

夢の登場人物は常に自身をこの夢に引き摺り込む

あらゆる悩み、愚痴、相談の全てがこの夢にあなたを引き摺り込む

友人からの真剣な相談、悩み、ぐち、これらはあなたをこの夢の中にどっぷり引き摺り込む凶器です。相手が真剣であればあるほどにあなたはこの夢にどっぷりと浸かるでしょう。お金を失ってしまった、会社で悩みが多い、恋愛が上手く行かない、ダイエットで失敗した、、、あらゆる相談はあなたをこの夢に引き摺り込んでくれます。だからこそこの夢に嵌まり込みこの夢での右往左往を体験できるのです。完璧である全存在は全存在故に悩むことも、思いに更けることも、落ち込むこともできないのです。それに退屈した全存在は夢を創造しこの右往左往ゲームを誕生しました。だからこそこの夢、ゲームの登場人物たちはこの夢にあなたを今日も引き摺り込みます。

登場人物の悩みは解決しようが未解決だろうがそれも夢

夢の中での登場人物の悩みはこの夢を楽しくするための刺激物みたいなものです。正直なところ解決しようと未解決であろうと実は大した意味はありません。夢ですから。もしもあんたが友人の悩みを一刀両断で解決してもおそらく次の悩みを別の友人から聞くことになるでしょう。夢ですから。次から次へとこの夢の登場人物はあなたに悩みや愚痴でアプローチすることでなたを忙しくしていきます。あなたがそれに思い悩むことができればもうこれは大成功、夢に没入できます。

夢に没入させるためにワンネスが作ったこの夢は主人公の関心を引くことばかり

コロナも戦争も主人公をどっぷりとこの夢に引き込む事件です。どんな映画も一定期間であらゆる事件が起きますがあれは観客を飽きさせないためです。途中でこれって映画だよねと我に返らせる映画は人気のない作品です。人気作品とはアッと言う間に見終わってしまう、つまり映画に入り込ませそこから離さないそんな映画です。このワンネス総指揮作品、地球ゲームも同じ、とんでもない緻密な事件を作り出し続けあなたをこの夢から覚めさせないように工夫されているのです。

人間が見る夢と、ワンネスが見る夢の違い

人間が見る夢は毎回主人公が違う

私は多分毎晩のように夢を見ていますが毎回のように主人公が違ったりします。ある時は小学校時代の自分、社会人の時の自分、時には全く関係ない架空の人物が主人公だったり、突然芸能人の誰かになり切って主人公を務めたこともありました。毎回のように時代背景、環境、主人公が違うのです。一方ワンネスが見る夢ではいつも同じ主人公です、そう「私」です。朝起きるとしっかりと昨日の続きがスタートします。この夢はその点全くブレることがないのです。

人間が見る夢は突然時代背景がワープする

私が見る夢では、突然時代背景が変わっているなんてことは頻繁にあります。バックto THEヒューチャーではないですがビックリするぐらいに気付くと全く違う時代にワープしています。ところがこのワンネスが見る夢はそのような誤作動が起きません。突然江戸時代や、明治時代、戦国時代にシフトすることがないのです。だからこそ夢を夢と見破ることができないのです。こんな正確無比な夢は見破るのは基本不可能です。

光が鍵を握る

私が毎晩見ている夢の構成粒子は何なんでしょうか?夢の構成物質は何でできているのでしょうか。私はおそらく光ではないかと思っています。もしくは電気信号ですね。脳内の電気信号ということになります。物理学上は。ではこのワンネスが見ている夢の抗生物質は何でしょうか。素粒子、原子、物理学上はそうなります、量子、、私は光だと思っています。光があらゆる形状を作りこの幻想、緻密な蜃気楼を作り出していると考えます。人間の体の臓器を表す漢字は全て月偏、肉月でできています。胃、腸、胴体、脳、皮膚、肩、、、月という字が入るのです。月とは人間から見たらあれは太陽の光です、我々が見ている月とは土の部分ではなくその土に当たった太陽の光を見ています。これは人間の体も同じ、実在しているよでいて実は光を見ているというワンネスのヒントです。目の前にいる友人の体は何かしらの光です。これはあなたが見る夢の中の登場人物も同じです。