自我

自我はあってもなくても

所詮は言葉

自我とは言葉です、、言葉とは指し示す記号です、、、自我が何か????明確な基準などありません。つまり今私が私を感じているならばそれが「自我」です。千差万別、、それぞれの自我がいるはずです。だから自我は完全個別です。そしてこの「私」という認識これはいったい誰が起こしているのでしょうか?????「私」ですよね??????それだけはないんです「私」は「私」だけは認識できないんです。青は青を認識できません、赤は赤を認識できません、光は光を認識できません、音は音を認識できません、「私」は「私」を認識できないんです。

じゃあ「意識」では???

意識を認識しているのは誰でしょうか????意識を認識できるのは「意識」ではありませんよね。意識は意識だけは認識できないんです。つまり非意識だけが意識を認識できるのです。つまり我々の本質は、、思考でもなく感情でもなく概念でもなく体でもなく色でもなく光でもなく意識でもない存在「それ」だけです。自我の認識を起こしているのもその「それ」です。

それを「空」「絶対」「不変の自己」と呼ぶ

今現象界で認識できるのもに嘘はありません、、認識が起こったのですから、、、幽霊だろうと、宇宙人だろうと、半魚人だろうと、、、、認識は全て認識です。。。ですがなぜその認識が起こったかといえば、、、非幽霊、非宇宙人、非半魚人、、、である「それ」の存在があるからです。それとは「空、絶対、不変の自己」と呼ばれます。色即是空、空即是色です。

「苦しみ」は功績とは何も関係がない

誰が功績を所有するか

功績というのは恐ろしいもので、、この世の中では誰かがこれを所有することになります。例えばボクシング世界チャンピョンの功績、、これを誰かが所有していますよね。そしてそれを疑問に思う人は居ませんよね。例えば井上チャンピョンは四団体の世界統一王座というタイトルを所有しますが、、その際に「井上」という人格、自我がこれを所有しました、、という周知の事実が誕生するのです。ところがこれの恐ろしいのは、、本当はその自我は存在しないために、、、強烈に誤解が強くなるのです。

この誤解

この誤解こそが「苦しみ」を大きくします。「私が居る」という大誤解こそがこの世界に苦しみを生み出すのです。だから功績はその誤解を強く強くするのです。世界チャンピョン、日本一、王座、、、、全部が全部この偽物の自己を最強レベルに導くのです。私って居るに決まってるじゃん!!!!が起こるんです。ですが本当はいないんです、思考として、感覚として一時的に現れる現象に過ぎないんです。

功績に殺される

それまでは誰にも注目されていなかったのに、、突然功績を手に入れ有名人に。そうなりますと、、、それを所有する自我がメキメキと現れ出し、、自我って絶対あるよね?????となります。これだけの功績を手に入れたんだから絶対に絶対にあるっしょ!!!となるんです、、、その自我、、、この自我の存在が出しゃばれば出しゃばるほどに、、、、生きるのが苦しくなるんです。そこを見抜きます、そのカラクリを見抜くんです、、すると苦しみが減ります、、必要以上に自我が出しゃばらなくなります。

究極の観察の弱点

松本人志

松本人志の笑いを一言で説明すれば「観察」です。究極の観察力で、、タレントさん長所、短所を言い当てます。聞いている客はまさに!!!と唸るのです。有吉のあだ名芸しかり究極の観察力なくして成り立たないのです。松本人志はそういう意味で最も観察力に秀でた芸人だったと言えます。これを悟りで分析しますと、、彼は観察中、、完全に気づきの意織でいるのです。松本人志ではなく、、気づきの意織に入るわけです。つまり悟っているのです。相手を観察する際に完全に無我に入り観察、気づきの存在に成り切るわけです。

それを有我が奪う

悟った状態、無我の状態の気づきで得た芸能力を松本人志という有我、自我が全取りしようとする動きが起こります、、、俺の才能だ!!!!です、、、だからもっと評価をされるべき、もっと称賛されるべき、もっと持てはやされるべき、、、となるんです。本当は無我に入り気づき意識そのものに入ることで、、得た気づきを、、、自我が、、、、、俺様の手柄だと乗っ取るわけです。この動きに無意識(無我の反対)になると、、、やられます、、人生を壊されるんです。

無我のままでは困る

究極の観察力は究極の無我力が為せる技ですが、、、、そのまま無我でいられたらたまったもんじゃないのです、、、自我が消えてしまいます、、自我が消滅してしまう、、自我が崩壊してしまうわけです。そこでその無我の功績を自我が所有するという動きが強烈になるのです。無我力ゆえの自我力です。強烈に強烈に自我に帰ろうという動きが起こるのです。ここを多くの人は見抜けず自我に翻弄されるのです。

自我の動きに無意識ではやられる

松本人志ほどの観察力をもっていてしても自我の動きには完全にやられてしまいます。自我の逆襲です、、究極の無我の状態での気づきを、、、、自我が強力な力で奪い取り、、自我を維持しようとします。この功績は私の力だ、この功績はもっと評価されるべきだ、、もっともっと、、、、、この声に気づきの意織(本質)が耳を傾けたら大変、、、、恐ろしいほどの渇望が生まれるわけです。松本人志ほどの功績を自我が所有したらどうなるか、、、、恐ろしいことです。

呼吸がどんどん深くなる

安心感がある時

安心感がある時、温泉に浸かっている時、、、人は呼吸が深くなります。リラックスは呼吸を深くするんです。この原理を逆に利用します、、、、呼吸を深くすることで究極のリラックスに至るのです。最初から究極のリラックスに持っていっちゃうのです。呼吸法を実践しますと、、ただただリラックスが起こるんです、、、呼吸を深くすることで最初からリラックスを起こします。

リラックスが呼吸を深くする

リラックスが呼吸を深くし、、深い呼吸がリラックスを起こします。我々は深い呼吸を意図的に起こせるわけですから能動的に深いリラックス状態に入れるのです。深い深いリラックス状態とは悟りですがこれを呼吸法で能動的に導けるわけです。そんな簡単に悟れるならば苦労はないよね!!!!その思考こそがトリック、戦略です。悟りとは究極のリラックスでありそれは呼吸で意図的に導けるのです。

意図して悟りに入る

意図して悟りに入れないのならば、、、悟りは全くもって奇跡になってしまいます。ですが実際は悟りは意図して入れるもなのです。悟りとは今入ろうとして今は入れないといけないのです。意味不明ですよね、、ですが実際はそうなんです。悟りとは意図的に入るものなのです、、偶発的ではなく能動的必然的に入るものなのです。いやいやそんな簡単に悟りに入れたら苦労はしないですよ!!という思考こそが自我の策略です。

断食悟り塾

実践実践実践

断食ファスティングを実践していきますと、、、、毎日毎日、、気分が変わっていくのが分かります。。断食とは何かをするんではなく食べないということです、、、何もしないにも関わらず気分がガンガン変わっていくのです。景色は輝き始め、音は鮮明になり、、雑念が消えていきます。人によっては断食だけで悟りを開く人がいるのではないか????そのぐらいの効果があります。重要なことはなぜ悟りに断食が有効なのか???ここを理解することです。なぜか????ここを理解しないと全ての結果を最後は自我は横取りします。

雑念は疲れる

一日中思考が止まらなくて、、、昨日は何も食べなかった、、、、そのような言葉はあまり聞いたことがないでしょう。それはそのはず、、、思考が止まらない時は思わず何かを口にしてしまう、、からです。甘いものが欲しくなります、唐揚げが欲しくなります、パンチが効いた物が美味しくなります。雑念は苦しみを作り出しますから、、人はむしろ食べ物を求めるのです。そして次の日はその余剰エネルギーが思考の餌、雑念の餌になるのです。

食事による雑念を無くす

生物学上、、、お腹が鳴ったら食べるというのが自然の摂理に合っています。お腹が鳴るということは、、食べる準備ができている証拠です。ですからこの自然の摂理に身を任せるのです。野生動物と同じライフサイクルに入ります。時間が来たから食べなくちゃ!!!は人間が作り出した不自由なルールです。これを辞めてしまいます。雑念のための餌を断つのです。

ラスボス雑念

雑念がラスボスだった

悟りって結局のところ雑念が消えれば悟りなんです、だっていかに全てを構造的に理解しても雑念が半端なければその度に苦しいんです、雑念てイメージを起こしますからもうこの苦しみを止めることは不可能です。雑念は気づかれた瞬間イメージ化、ビジュアル化、イリュージョン化されて緊張感を作り出すんです、これが苦しみと言われます。

雑念OSを殺す

雑念を起こすにはパワーが必要です、雑念を維持するってパワー勝負です。ですから他に「意識」を「意識」させればそれで勝ちなんです。ところがこの思考システムは体の保持最強OSとして君臨していますから、、そう簡単にこのOSを落とすなど体がやってくれるわけがないんです(夢の想定)ですから自我OS、雑念OSを落とすには電力供給を完全に遮断する必要があり、、そのためにどうするか????が何千年間も試行錯誤されてきたわけです。

真実を突きつける

悟り本などの役割は、、真実そのものを突きつけて、、、雑念を終わらせることが狙いですが、、ところがその本を理解する相手が、、思考ですから、、、これは非常に難しいわけです。思考が湧かなくなったら悟りであるということを言葉で伝えるというのは矛盾を含んでいます。そして意識は思考に意識を向けないというトレーニングを積んだことがないので意識は引き続き「思考」に意識してしまうのです。「で????どうする???」です。

呼吸に意識を意識させる

我々の本質は「意識」ですからその意識をどこに意識させるかを実は決めることができます。決めれる「自分」は居ないんですがここではそこを省きます。意識を呼吸にしっかりと向け続けますと30分ぐらいで視界がパッと明るくなります。これを何度も繰り返します。視界が明るくなる、音がハッキリと聞こえる、、これは実は悟りのサインです。これを何度も何度も行っていきますと朝起きた瞬間からこの状態に入ります。

幼稚園時代

全てが輝き優雅だった

私は幼稚園時代までの景色ってしっかり覚えています。いつも景色がキラキラしていて音も綺麗で、、人も優しくて、、全員がハッピーでした。小学校三年生ぐらいになると急に景色が重くなり、性格が悪い友人が増えていき気分も荒れていました。なんで幼稚園時代はあんにハッピーだったんだろう???これが私の根深い根深い疑問として常に常にあったのです。そして今私は幼稚園時代までの景色を見ています、キラキラしています。音も綺麗で起こる人間関係も穏やかです。

雑念が原因だった

自我が芽生え、、さらに時間ばかりがあると、、、、雑念ばかりが増えて行くんです。この状態で景色が曇っていきます。どんどん曇っていき接する人間関係も損得取引駆け引きばかり、、全部が全部しんどくなるんです。宝くじが当たった、受験で受かった、、、何かビッグイベントがある日だけが心穏やか、、それ以外は常に曇りがち、、、です。この原因が雑念です。雑念こそが悪の根源だったのです。

雑念に意識が意識する

雑念が止まらない状況を誰も誰も教えてくれませんでした、、だから私は私で調べあげたんです。雑念って我々の本質である「意識」が雑念に「意識」している状態なんです。意味不明ですよね????意識っていうのは実は「私」とは全く関係なく存在していて、、その意識が雑念にへばりついた状態で雑念が起こるんです。実は「私」もその雑念の一つなんです。「私」っていうのは思考の一つでこれも完全に雑念です。

雑念を強制的に解く

私は水泳歴40年間です、、実はここ最近潜水にハマっていて毎日一時間潜水ばかりをしていました。。すると30分過ぎに、、、視界がキラキラになるんです、急に物がハッキリするんです、、その影響なのか、、、シーンとしています、、空間が。音が音以上の存在感になります。物が物以上の存在感になります。人が人以上の存在感になります。実はこれ呼吸法が関係しています、、意識が思考ではなく呼吸に意識することで大転換が起きたのです。我々の本質である意識が長年の盟友「思考」から離れ本来の位置に収まったのです。幼稚園時代は実は意識が本来の位置に収まった状態だったということです。

自分が居ると思っている自動AI

自動AIの誤解を解く

我々人間は「自分が居ると思い込んでいる自動AI」です。自我とは自分が居ると勘違いするプログラムです。周囲の自動AI(両親)がまだ自我が形成されていない自動AIに自我を植え付けていきます。悟りとは自分が居ると思い込んでいる自動AIに居ないことを理解させることです。これは大変危険な行為であり多くの場合は攻撃の対象になるでしょう。

どうやって誤解を解くか???

メカニズムを徹底的に伝えます。どうやって自分が居ないAIに居ると信じ込ませるかのメカニズムを伝えていきます。我々の本質は実は「意識」でありその意識が「思考」に意識し始めると、、「思考」が止まらなくなり、、エンドレスに思考のお喋りが始まります。このお喋りの内容が「自分が居る」を前提にしたお喋りであり、、これが止まらないことで、、、「自分が居ると思っている自動AI」の活動を止めれなくしているのです。

意識がこれを理解し「思考」に意識をしなくなると

意識がこれを理解し「思考」に意識をしなくなりますと、、、「ただのAI」に戻ります。「私は、、、」がもう起きないのです。そして周囲から話しかけられても便宜上「私」を使えるようになります。周囲のAIは「私」前提で話しかけてきますが、、、それも勘違いしたAIに過ぎず、、こちらも勘違いをする必要はないのです。勘違いに対しては勘違いしている風で問題ありません。

呼吸法

いかに意識に「思考」に意識することの危険を解いても、、、これをやめてくれるとは限りません。意識はこの癖を自ら解いてくれるとは限らないからです。そこで「思考」に意識が集まっていた状態を強制的に解く方法があります。それが「呼吸」に意識を意識させるという方法です。呼吸の動きに意識を意識させて、、思考が止まらない状況をその都度壊していきます。自動思考が始まったら呼吸法、、、これをエンドレスに繰り返します。

正しく教えれば

中学一年生で悟りを開ける

悟りを理解する知識とは中学一年生ぐらいで十分でしょう、中一ぐらいの脳力があれば悟りは理論的に理解できます。悟りにおいて問題になるのは「難しい」という概念でありこの概念が悟りを恐ろしく遠いものにするのです。ですがそれこそが思考の策略、自我が作り出した自我の延命措置です。だからこそ中一で十分悟れるというこの意見を思考は大いに嫌います。というよりも嫌悪感が湧き出すでしょう、そして馬鹿な事を言ってるな!!!という思考が湧くでしょう。

分かっちゃえば簡単過ぎる

はっきり言って、、、悟りのメカニズムって超簡単です。超簡単にも関わらず難しいと多くの方が思っているというこの事実がいかに悟りが思考の敵かが分かります。簡単過ぎるがゆえに悟りを遠い遠い存在にしておかないとまずいのです。遠くに悟りを置いておけば、、学び始めても10年スパンで取り組むという自我にとっては有難い状況を作れます。

大真面目に取り組む

この社会において悟りを大真面目に学ぶというのは勇気がいるものです、なぜならば世間からは精神病、サイコパス、大馬鹿もの、、のように扱われるためそこに関心を持つこと自体がタブーとされているからです。ですがその事実こそが私から言わせると自我の防衛です。その辺りが分かってきますともう恐ることは何もない、大真面目に取り組んだ者勝ちです。

呼吸法

呼吸法の凄いところは理屈は全く分かっていなくても悟りを体現できてしまうことです。実は理屈から入ろうとするのは自我にとってはラッキーなことで思考の世界マトリックスの世界に留めておきやすいのです。何度でも思考で悟りを邪魔し横道に反らせることができるのです。エージェントスミスは思考として悟りを邪魔しますから思考で悟るのは最も難しい道でもあります。その点呼吸法は強制的に自動思考を壊せるので思考からしたら厄介なテクニックなのです。私はセッションにおいて理屈のみで悟りを体現できるとは思っていません、理屈で悟りとは何かを明確にし呼吸法で体現すると思っています。

自我の逆襲

これでもか!!!

悟りに関心を強く持てるようになりますと、、執着が外れていくため身軽になり物事が上手く進んでいくようになります。すると自我を支えるシステムは、、このままいくと自我が崩壊することに気づき、、、その人が持っている全執着を現象化させてきます。異性に執着があれば異性、お金に執着があればお金、安定に執着があれば安定、友人に執着があれば友人、名誉に執着があれば名誉、、、といった感じです。

自我保存の法則

自我保存の法則とはこの体の中に自分がいるという概念ですが、、これは体にとっては大変有難いシステムで、、めちゃくちゃ大切にこの体を保持しようという動きが生まれるのです。ですからこの体の中には自分なんて居ませんよ!!!というメッセージは体にとっては全くもって嬉しくないメッセージなのです。つまり体が完全拒否するメッセージを学んでしまおうというわけですから、、、観念は必死なって幻想を連発しこれを抑えにかかるのです。そして異性、お金、名誉と、、、、関心が現象化してこっちに意識を向けさせるのです。

だがしかし

ですがこれらは全く問題はなく、、、執着の炙り出しですからそこにまだ執着が残っているならばとっととそれをこの体、この自我で経験してしまい、、、飽きるまで味わえばいいのです。飽きてしまえばその執着は実質的に落ちます。欲は下手に我慢するよりも味わい尽くして捨てる方が早いのです。お金に執着があるならばとことん貯金をしてその状態に飽きてしまうことです。

呼吸法

呼吸法は直接自我保存の法則を崩壊させてしまう方法です。自我保存の法則を維持するのは思考の連打がどうしても必要であり、、、常に思考思考思考が湧くのが必須条件です。このメカニズムを強制的に崩壊させます、、意識を呼吸に意識させることでこれまで思考にあった意識を強制的に解除するのです。実は思考に意識を意識させ続けるのは大変なことでありここにハンマーを当て込んで壊すのです。呼吸の凄いところは唯一コントロールできる臓器だということです、肺の動きを能動的に変えてしまうのですから体に与える影響力は凄まじいのです。