たった一つの景色

実は何も起きていない

私たちの生活は日々色々なことが起こっているように見えますが実は何も起きていません。全体からあらゆる現象が起こり、思考が起こり、感情は起こります。思考の内容は「私はしなくては」「私はするぞ」「私はこれを守る」、、、と私前提の思考が湧き続けますが、、実はそれ以外何も起きていません。この体はその思考に反応し感情を作り出しますが、それだけです。この体は思考とは何も関係なく動きがあえばない時もあります。その動きに合わせてまた思考が湧き上がりその動きを評価判断反省するのです、、しかし実際には何も起きていません。

思考とは何も関係なく

明日はこれやってあれやってこうしてこうしてから寝よう!!!!しかしこの思考の内容とは何も関係なく、、体の動きは起こります、細かく言えばその思考の内容によって化学反応が起こり、、その化学反応通りの動きがこの体に起こります。それはコントロールではなく、ただの反応です。そしてその動きに応じてまた評価判断反省の思考の動きが起こるのです。その思考が体に化学反応を起こし感情が起こります。

視点の変換

体という視点から見れば我々には間違いなく自由意志、自由行動、自由思索、自由思慮がありますが、、、この背景という視点から見ると全ては背景から湧き起こっています。背景とはこの画面の背景ですが、、その背景はまさに大いなる存在、気づきの存在、在る、動きのある神です。。そしてその湧き上がるという現象の大元には空、絶対、THE ONE、動きのない神、、、が居ます。

究極のリラックス

真実を受け入れますと、、無駄な思考が止まります、無駄な感情が止まります。体の動き、周囲の現象に対する思考の判断が減ります。すると無駄な感情が減ります。喜怒哀楽という感情が抜け落ち、、真の感情、、これは感情ではなく、、BEING,STESTE、大いなる存在から起こる真の安らぎが漂ってきます。自由意志、自由行動を諦めた時、、大いなる存在として「私」の行動を観察する観察者になり、、ここには真の自由があります。

動かない神、動く神

この世界

たった一つのエネルギー空の中に鏡が突如現れ、、その鏡の中に空が映し出されました。空とは全く動かない神であり、そこに動きは全くありません。ですがその中の鏡の中では、、この空の無限の表現が出現します。つまりこれは動く神です。動かない神が鏡に映り、、そこに動く神が出現したのです。この世界は動いていますよね????つまりここは動く神の世界です。

この動きに気づくのは????

動かない神、空がこの鏡に写った動く神を見てビックリ!!!これはないんです、基本的に。ここは動かない神ですから。ですが鏡では、、その動きに気づくという現象が起こります。そしてこれは無限の存在、神の写絵であるという気づきも起きます。その鏡には無限の動き、無限の経験が現れそれに気づくが起こっています。

この私

この私はこの無限の経験のたった一つ、側面です。ですから私の経験は全部この無限の現れ経験の一つです。そしてこの私は完全に現象であり、、これは幻です。この経験の主体は、、私ではなく気づきの存在、意識、です。鏡の中で起こる経験という全てを作り出すのが意識であり、、その意識は空(動かない神)の中で起こる鏡の反応から起こっています。

微動だにしない神

全存在

たった一つのエネルギー、空、微動だにしない神の中に、、、、その鏡があります、、宇宙の全てが存在するのですから空の中には鏡が存在します、その鏡に空が映し出されました。するとそこには無限が姿化した姿が映ったのです。鏡の中で、、無限だ!!!という気づきが起きます。空の鏡の中に、、意識が生まれ、、無限の存在である自覚が起こったのです。

無限の存在の無限の体験

ここは無限の存在の無限の体験の場所ですから、、全部があります。ここにない体験は存在しないのです。人間の頭ではここは理解ができませんが、、想像しうる全てがあるのがこの空の現象の場所、空の幻想の場所、微動だにしない神の反映の場所です。

全ては意識の中で生まれる

この全体験は微動だにしない神がしているのではありません。微動だにしない神の中に鏡に移った反映、幻想が起こると同時に起こった「意識」の中で、、我々の幻想は起き続けています。現れて消えるこの現象は全て意識の中で起こり消えます。

騙される

悩める人々

私の前にはあらゆる悩める人々が登場するでしょう、恋愛で困っているように見える人、仕事で悩んでいるように見える人、進路で悩んでいるように見える人、結婚で悩んでいるように見える人、、、ですが全部が全部そう見えるだけで本当は何も起きていません。世界から貧困を無くそう!世界から孤独を無くそう!!!素晴らしいスローガンではありますが、、真実とは異なります。

見える全ては幻想

せっかく私がこれだけ頑張って助けたにも関わらず、、、、悔しい、、、、全部間違っています。助けたあの人は実は全く苦しんでいませんでした、全く苦しんでいなかった人を救ったと勘違いし、、代わりに何かを受け取ろうとしてそれが起こらず、、さらに悔しがる。。。。が起きました。最初から救うべき人はこの世界には存在せず、、だから助けても感謝も起こらないが起きたのです。

クッパもノコノコもクリボーも

クッパ、ノコノコ、クリボー、、全部幻ですから、、悩んだり、苦しんだり、怒ったりは彼らには起きません、経験者風の雰囲気を出しますが、、実は何も起きていないのです。経験者は全部神であり、、その神とは「私」をやっている神でもあります。今この画像、画面、現象で起こる全てを回収する神が今感じていることが全てです。人間関係の悩みとは、、相手の心情を察して、、こちらも苦しむが多いのですがそれの全てから今解放されてください。

なぜ今ここなのか????

今ここが私(神)

神がTVゲームの画面に入り込み、、画面そのものになってマリオをやっているのがこの世界です。つまり神とは画面です、、、画面とは今ここにあります。ところが画面上のマリオは将来のこと、過去のことを悩んでばかり、、今ここに神が鎮座しているにも関わらずこの画像には一切興味を持たず、、イメージの世界に入り込みます。マリオは実は神で画像も全部神だから、、そこが一番のホームにも関わらず、、イメージの世界に入り込みます。ですがそこには神は居ません、、これによってアウェイになり苦しいのです。

今ここに戻る

今ここが苦しいから将来や過去を振り返っているんです、、今ここが安心安全最高ならば、、将来に期待なんてしませんよ!!!!今ここ、画面が神でマリオも神、クッパも神、ノコノコも神で、、、なぜこの世界は争いばかりなのか?????おかしいじゃないですか??????今この世界を見れば争いが起こり続けていますよ!!!だから将来に期待をしているんです。

マリオ(画像)は神だが経験者ではない

マリオは画像です、この画像は間違いなく神です、、ですが、、画像はこの中では経験者にはなれないんです。つまりあなたはマリオとしてマリオの人格として経験を積んでいるつもりかもせんが、、実は経験者は神です。つまりマリオの人格だと今神がそう勘違いを起こし、、その勘違いこそが苦しみを生み出しているのです。その勘違いが終わった瞬間にこの世界には一切の勘違いが消滅し、、神は神の安らぎを得るのです。

自我のプロレス

巻き込まれたら負け

例えば会社に通うとしましょう、、、行ってみたら、社長と部長が仲が悪くいつも喧嘩している。部長が心身を病んで鬱状態に、、社長はストレス発散でアル中状態。さらに一個上の先輩は性格が悪くこちらに当たってくる、いったい私はどうしたらいいですか?????簡単です、、その起こっている現象は全て幻で、誰も苦しんでいないことを悟ることです。苦しみを体験できるのは誰ですか???幻はその体験はできません、つまり、、誰一人苦しんでいる人物(幻)は居ません。もしも苦しむことができる存在が居るとするとたった一人神です。

いやいや「私」が苦しいのは百も分かっています。

何を言っているのか????私はそれで十分に苦しい思いをしていますよ?????この私が!!!違います、、私っていうには100%幻です、、幻が苦しむのは不可能です。もしも苦しんでると自覚があるのならばあなたが神だということです。だとしたら部長も社長も神でしっかり苦しんでいるのでは???もしも今あなたが神であることが自覚できたならば、、部長、社長の苦しみの全部今神であるあなたが感じているはずです。

つまり

少なくとも100%言えることは、、この見える世界で苦しんでいるのはこの私をやっている神だけです。だから全くもって周囲の苦しみを背負わなくていい、構わなくていい、社会通念上問題にならない程度に振る舞えばいいのです。そして今この私をやっている神が背負っている苦しみをなくすことに専念するのです。なぜ苦しみが湧くのか????そこに注力します。

「私」はなぜ生まれたのか????

究極の問い

私ってなんのために生まれたんでしょうか????簡単です、それが起こっただけです。「私」が起こったのです、、たまたま、、。なぜ目の前で雨が降るのか?????この現象に意味は100%ないんです。もしも理由があったのならば、、、その理由を作った理由が必要になり、、その理由にはさらにそれを起こした理由が必要になり、、その理由が起きるにはさらにそれを起こす理由が必要になるんです。つまりつまり理由とは絶対に存在しないんです。全ては化学反応のようにただ起きたのです。

「私」が理由なく起こったならば「私」は理由なく消える

「私」が理由なくただ起こったならば「私」は理由なくただ消えるでしょう、この時間軸の世界、夢で。そうなるともう「私が居る」という全思考、全感情が消えます。そこからは「私が居る」という前提から起こる思考、感情が抜け落ちた現象が起こり続けます。神が「私は居る」という認識がない状態で「私」を演じるという自覚のもとにこの現象が続きます。

悟りを本を読んでいるのは誰だ???

「私」じゃないんですか???

マリオがゲームの中で本を読み理解するって可能でしょうか????桜木花道が漫画の中で本を読み理解するって可能ですか????間違いなく無理です、、、ゲームをやっている人、漫画を読んでいる人しかそれは不可能ですね。つまりつまり悟り本を読んで内容を把握するのは「真我」「神」「大いなる存在」です。だんだん悟り本が分かってくる????その気づきは神から起きているんです。

神以外は誰も経験していない

この世界、この夢の世界で、、経験できる存在はこの夢を見ている神だけです。神以外に経験者が居るとしたらその時神は何をしているのか????暇すぎますよね????私が経験し神は見守るだけとしたら神は暇人になってしまいます。。。私が極旨ラーメンを食べている時、、神がそれを観察するだけならば神はめちゃくちゃ暇ですよね、、だいたいなんのための世界なんだ???ということです。ですからこの世界の経験は全部私と思い込んでいる神がやっているのです。

美味しいラー麺は神が味わっている

美味しいラーメン、エグい映画、めちゃくちゃ強いタバコ、、、味わっているのは全部神です。神が全部味わっておいて「私」が味わったという勘違いを神が起こし、、そして美味しい、不味い、という感情を起こし、、神がそれを経験しているのです。この全てが完全自動運転で起こっているのです。これを操作する神はなく、、ただ全現象が神から起こり神が感じるを続けています。

神が腹を立てる?????

もしも全経験を神がしているならなぜ神が腹を立てるんですか????ショボすぎでしょ、、、、、残念!!!この世界は全感情、全思考、全行動を経験する場所なのです。そのために神があらゆる仕掛けを起こし腹立つ!!!!という仕組みを作ったのです。「私」という存在を立ち上げ、、「私がやられた!!」という思考を立ち上げ、、それに体が反応し、、怒り!!が湧きます。全ては全部化学反応です。「私」という感覚すら化学反応で起きたのです。「私」という思考が「私が悪口を言われた」という思考を作り出し「私が悪口を言われた」という思考が「怒り」という感情を起こしているのです。化学反応が連鎖しているだけです。

コントロールできないことで人は悩まない

大型台風10連続

例えば今年大型台風が10連発という前代未聞の事件が起きるとしましょう、、ですがそのことでノイローゼになる人って居ないんです。そのことについて悩んでノイローゼにはならないんです。精神科に行って台風10連発で悩みに悩みノイローゼ気味にってならないんです。つまり人間はコントロール不能の現象には悩むことがないということです。

では自分自身は

では自分自身ついて、、、言動思考感情をコントロールできると思っていますか?????当然思っています。。。だから悩むんです、、コントロールできると思っているから。。。ですが実際には全くもってノーコントロールです。つまり悩むことはできないんです。台風10連発も自身のバカみたいな行動10連発も全くもってノーコントロールなのです。我々はコントールできないことを出来ると信じて苦しんでいるのです。

相手の行動は

自分自身の行動はコントロールできないのですから当たり前ですが相手の行動をコントロールなどできるわけがないんです。たまたまこちらの言動が相手に影響を与えることはあります、化学反応として。ですがその化学反応をコントロールする力は誰にもありません。つまり我々ができることは化学反応を見守るしかないということです。

部下に悩む社長

社長の悩みの99.9999%は部下のことでしょう。部下が自身の指示を守ってくれるか、、でしょう。ところが残念ながら、、これも化学反応でしかないので、、、こちらの言動が相手にどう反応するかは化学反応です。出来の良い部下が急に指示を守ってくれない、バックレる、、反発するが起きる可能性があるのです。化学反応の結果に悩むって変なんです、、なぜならば誰もコントロールできないからです。

これを「現実」と想定して生きる大変さ

失敗が許されない

「たった一度のこの人生」これが現代人類最大のプレッシャーです。この人生は一回しかなく、、この私は一回しかチャンスがない、、だから失敗などしていいはずがない。。。。このたった一回の人生で失敗したら、、虚しいにもほどがある、、、、だから私は怖いし、重いし、慎重だし、、常に怯えなくてはいけない。だけどそれは当たり前でこの「私の人生」は一回きりなのだから。。。これが人類共通の病です。

神経症的生き方

誰も悪くないんです、、この宇宙にたった一人で生きている、、という観念、価値観は、、、絶対に失敗は許されない、、、という脅迫になります。だから心配で心配で心配過ぎるのです。。。すべてのことが。絶対に失敗をしない生き方を、、しなくてはいけない。。となって当たり前なんです。悠々自適に、、、いやいや、、、それで失敗でもしたらどうなるんですか?????となります。

子供と自己超越の違い

子供はなぜ大人がこれほどまでに失敗を恐れるかが分からないんです、、子供は例の概念がありませんからただピュアに、、無邪気なのです。。。ですが自己超越、これが夢だと悟りがあれば、、、大人の怯え、恐れ、恐怖症を理解できるんです。理解できた上で、、自身はナチュラルにこの夢を生きることができます。相手が神経症状態でありことが分かっていますから、、その上でのコミュニケーションが成り立つのです。