地動説

地動説を説明するのに天動説を用いない

天動説に置き換えるという行為が邪魔になる

天動説を信じてきた人類が地動説にパラダイムシフトするのには100年間がかかったと言われています。その際に、、、重要なこと、、地動説で全部が説明がつくことを証明する、、です。この瞬間人間はなるほど!!!が起き、、、天動説を忘れることができます。天動説という概念が落ちるんです。これを天動説はこういうとこに矛盾があり、、みたいな説明をしても、、、ただ矛盾を突きつけられるだけで理解にはならないんです。

「この体、この思考が自分」説から「全部が自分」説へのパラダイムシフト

我々はこれまで「この体この思考が自分」説を信じてきました。そこから「全部が自分」説にパラダイムシフトできますと、、、「苦しい」という感情から解放されます。「この体この思考が自分」説の問題点は、、真実ではないのでこの思考が起こす感情に付き合い続けなければならないのです。その思考感情とは「本当の自分とは誰だ???」という思考から湧く憤りです。この感情が苦しいので人はあらゆる方向に思考し行動し苦しむのです。

「全部が自分」説をただ理解する

「全部が自分」説を理解するのに、、「この体この思考が自分」説を用いる必要はありません。ただシンプルに「全部が自分」説に矛盾がないことを理解するのです。その理論で全てが証明されていくことを理解します。そしてそこに一つも矛盾を感じなくなった時に「この体この思考が自分」説が崩れます、落ちます。そしてなぜ今まで「この体この思考が自分」説を信じてきたかが分かり笑うのです。

悟りとは獲得ではなく諦め

達成ではない

悟りとは個人が達成することではありません、、、個人が獲得することでもありません、、、悟りとは、、、、諦めです、、、悟りとは、、、個人が実は居なかったという大ドンデン返しです。。。。。悟りを追い求め、、追い求め、追い求め続け、、、、、、ようやく手に入れたと思ったら、、、、実は手に入れる個人が居なかったというオチです。。。。。。アベシ、ヒデブ、、、、、

究極の幸福を求めて

個人とは幸福を求めるものです、、、なぜならば、、、個人は苦しいからです、、、朝起きて学校に行く、会社に行く、、、やらなくてはならないことが個人には無限に続きます、、個人とは責任、義務を背負い続ける存在、、、、道徳、責任、義務、、、、あらゆることが個人には積み重なっていきます、、、、

この個人が幸福を求めるのは当たり前

個人は絶対に幸福を求めます、、それは苦しいからです、、、その終わりは幸福の獲得ではなく、、、苦しみの解体です、、、苦しみの終焉です、、、個人という概念が生み出した苦しみという感情を、、個人という概念を終わらせることで、、苦しみを終わらせます、、、、個人とは脳が作り出したアイデア、概念、妄想であり、、、これがアイデア、概念、妄想であることを見抜くことでこれが終わります。

個人にとっては辛いこと

せっかくこれまでこの個人のために頑張ってきたにも関わらず、、、この個人が実は居なかったという大オチは、、個人には辛い、、いや???本当は個人はいないのならば、、、辛いという感情はどこから出るのか????辛いというのは個人という概念があるという観念から自動的に引き起こされます、、、天動説から地動説に切り替わった時に、、人類の多くは、、シンドイ、、、という感情を持ちました、、、これと同じでしょう、、

苦しみの終わり

自己責任という地獄

全ては自己責任、大人とは責任を追うということ、、、この縛りに人は苦しみ続けます、、、、責任を追うべき自己が実は居ない、、、、この驚くべき事実が、、、、世界を大転換させます、、、なぜあんな行動を取ったのか???なぜあんなことをしてしまったのか????この連続で、、、、我々は苦しみ続けてきました、、、何千年も、、、天動説が地動説に切り替わったように今自己の大転換が起きます。。。。

自己は居なかった

まさか、、、この体には自己という存在が居なかった、、、これが真実です、、、この真実が誤解され間違った思考が、、、定説化されたことで、、、、この世界は迷い人を増産する結果になりました。脳は自己をこの体の中に作り出すことに成功し、、、この体の安全保持に成功したのです、、、ですがこの自己の存在は同時にあらゆるストレスを生み出すがために完璧ではありません、、、自己実現とはこの自己を完全に俯瞰し、、自己の脱皮を図る試みなのです。

幼虫から蝶に羽ばたく

悟りとは自我というOS、、自我という防衛システムを手放し、、、ストレスなくこの体を保持する状態に居ることです。体を保持するために自我防衛システムは確実に上手く機能してきました、、ですがこのシステムはストレスを伴うがゆえに苦しみが永続します、、、これを卒業します、、、ストレスなく、、、この体を保持するという次の段階へのシフトがあります、、、それが悟り、自己超越、大周天、サマディと呼ばれる状態です。

判断という罠

まだ判断してるの???

いつの日か、、、本当は時間はないんですが、、、、判断するのってダサいよね!!!!という時代が来るはずです、、絶対、、、判断????いつの時代の認識ですか????になります。天動説????ぐらいのオールドスクールになるでしょう、、、つまりはこういうことです、、、地動説のメカニズムを知ると、、、太陽が動くという錯覚をもうできません、、、、悟りを開くと、、、、思考を個人が起こしているという錯覚に騙されることがなくなります。そこが分かってしまうと太陽の動きに騙されなくなるように、、思考の動きに騙されなくなるのです。

太陽は動き、思考を個人が起こす

太陽が絶対に地球の周りを回っていないように、、、思考も、、個人が自由意志では起こしていないのです、、、そう感じているだけ、、、太陽が地球の周りを動いていると感じていたように、、思考を司る自分という存在も感じていただけです。これが全てです、、、これが分かってしまうと他人の意見を判断するということに興味が無くなるのです、、自然現象にケチをつけることに意味を感じますか???という話です。

世界は全部不自由意志で回っている

地球とは最高に面白いのです、、全員が不自由意志で動き回り、、その行動を反省し、時に喜び、、勘違いを起こし続けているのです、、、、お互いに行動を批判し合い、称賛しあい、妬み合い、嫉み合い、、憎しみあい、愛し合い、、をする、、、その全てが不自由意志であることを忘れ、、、こんな面白い活動を続けているのが地球の惨状です。。。ですがこれも見かけ上の「私」の観念が引き起こしていますから、、そこがまた面白いのです。

それは突然起きる

仮面ライダーって居ない

それは突然起きます、、仮面ライダーを信じていた子供が、、小学校に通い、、、在る時に突然気づきが起きます、、仮面ライダーって本当は居ないんだ!!!、、、これはもう突然起きます、、これがきっかけという大きなコトではなく、、、、何かが何かと重なり合って過去の記憶が全部重なって突然起きます、、、悟りも全く同じ、、、これだ!!!というキッカケなど実は存在しない、、、個人としての全記憶が重なり合って突然の化学反応が起こり、、それが起きるのです。

本当に居ない

理屈は分かるんだけど、理屈では腑に落ちているんですけど、、、、これを何度も繰り返し、、ある時突然気づきが起きる、、、それが何がきっかけという直接的なものではない、、、あらゆる要因の積み重ねによって天動説が地動説にひっくり返る、、、それでも毎日の生活は続く、、、ですがそこには前の自我システムが働かない。

これまで悟りが起きなかった理由が明確に分かる

今は分かります、悟りとは自我が幻想であることの完璧な理解です、、ですがこれまでは自我は、、この体を守るための最重要アイコンとして君臨してきました、、、この体を守る最高権力者を突然居ない、、、と宣言してもそれを言っているのが自我システムですから、、、全くの無駄、、、意味がないのです、、、ですが諦めず、、自我を突き詰めていきますと、、突然の理解が起きます、、、本当にこれは居ないと。

全人生に失敗は一日もない

生まれて死ぬまで失敗は存在しない

全ての思考、感情、行動が、、真我からの起こりならば、、、失敗というのは存在しなくなります、、見かけ上の「私」が世間的には失敗したように見えても、、それはただ起こっただけということになります。世の中に失敗という概念があるのは自由意志が存在すると信じているからこそです。もしも自由意志が存在しないのならば、、失敗という概念はなくなります。

生まれて死ぬまで成功も存在しない

全ての思考、感情、行動が、、、真我、根源からの起こりならば、、、成功も存在しなくなります、、、成功は比較で起こりますから、、、出来事が全部真我からの起こりであるならば、、、実在の成功者というのは居なくなります。。自由意志がないにも関わらずあの人は成功者だ、、、という認識が起きない。。。成功者という概念が途端に稚拙に思えてくる、、だって個人が成功させたわけではないからです。

全人類の解放

悟りとは全人類のパラダイムシフトです、天動説から地動説にシフトしたように、、、自己意識が超意識にシフトする、、、自己意識から自己が抜け落ちる、、、意識そのものになる、、、これが人類に起き始めます。生死は決して怖いものではなくなり、、、この体の消滅でしかない、、意識は何一つ傷付かず、、意識のまま、、我々は個人を意識していた意識そのものだったという気づきが起きます。

社会人にこのメッセージが意味あるか???

普通に働いているけど、、意味を感じない

普通に毎日働いている方にこの悟りメッセージは意味があるのか???使い道がない、、、、違います、、天動説が地動説に切り替わる以上の影響力です。。。。意味があるのか??という質問が出ている時点でまだ理解が進んでいないのです。。。人間の多くは後悔、と心配を多くの時間を割いてしていますが、、、これが無くなります。。。。後悔も心配もこの私が自由意志で決断をするから、、起きるのです、、、、怖い、、、ですがこれをできる個人が存在しないのです、、、個人というラベルのはその実力がないのです、、、、後悔、不安全く関係のない話です。

何を焦り何を求めるのか???

焦りとは、、この今の決断が、、今後に影響するのでは????という大前提で起こります、、、ところが、、それができない、、、今起こる決断はこの個人というラベルとは全く関係なく起こり続ける、、、何を焦ることができるのか????勿論どうなるか分からない真我からの起こりは怖いのは確かです、、、ですがそれは全員が同条件。。。全員が全く平等に真我に振り回されている、、、終わり。

上手くいくもいかないも

見かけ上上手くいっている人は、、そのようにさせられているだけ、、、見かけ上上手く言っていない人は、、そのようにさせられているだけ、、、ここに何か感情思考は湧くでしょうか、、、、湧くわけがないのです、、、そこに個人の自由意志が働いていると信じるからこそ、、色々思考が巡るのであって、、それが湧かない、、、変わった、、、起きている時間の思考の反応が明らかに変わります。これが人類の新しいパラダイムシフトです。

自我の根っこをぶった切る

勘違いの大元

自我の活動、反応は、、勘違いという大きな土台の上で起こる化学反応です、、化学反応ですから、、これを静止できる個人、自分は存在しません、、、化学反応を止める唯一の方法は、、この勘違いという土台に完璧に気づく以外に道はないのです。。。その大きな勘違いとは、、、この自分が自由意志で物事を決めているという勘違いです。これが嘘だった、勘違いだった、、、という大どんでん返し、天動説が地動説に切り替わるようなパラダイムシフトを超こします、、すると自由意志がある個人を前提にした、、思考、行動が湧いてこない、、もしくは途中で気づくようになります。

地動説を信じ切った後に。。。

地動説を信じ切った後に、、今日の太陽は早く動くなーとは思いませんね、、全く同じメカニズムです、、、全ての言動は真我から勝手に起こっている、、、これを腹の底から信じた時に、、感情、思考、行動が変わってしまうのです、、、勝手に。蜃気楼を見て早くあそこに行きたい、、とは思いません、蜃気楼という気づきが起きたあとに、、その衝動がもう起きないのです。

これは人類の新しいパラダイムシフト

個人の思考、行動、感情が、、、全部真我からただ起こっていただけだった、、、この気づきは、、、人類のパラダイムシフトです、、この気づきは地動説後の人類の発展と同じです、、、それぐらいに大きな気づきです。この気づきが今人類に起きそうになっています。情報革命が進み、、悟り、ノンデュアリティのメッセージが徐々に世間に浸透し始めています、、これは奇跡です。

悟りとは個人の精神的抹殺

個人を抹殺する

悟りとは個人の精神的抹殺です、、、、個人がこの体の中に居るという思考、感覚を抹殺します。個人という存在が形成されたメカニズムを解説し、、個人が在るという思考が二度と出てこないようにすることです。天動説を真剣に信じ込んできた個人に、、地動説を解き、、、その個人が完全な理解を示した時に、、、それでも天動説を信じようという思考の動きが消えます。。。これが悟りです。個人の不在を完全に理解することです。

どのようにして個人が築きあげられたか

個人という存在が確立することを自我が形成されると言います、、まさにその通り、、、元々人間には自我が存在しないのです、、徐々に徐々に自我が形成されるように周囲からの声かけ、学習が行われるのです、、、「水泳で一番を取った私、、テストで0点を取った私、学校で人気者になった私」という記憶の全てがその個人を強固にしていき、、その記憶の全てが、、、価値観になっていくのです。

自我の形成を俯瞰すれば、、、俯瞰する存在が真我

自我の形成がなぜ起きるかといえば、、生命維持にとって有効だからです。。。先ず自分の名前が言えなければ就職できませんから、、食べていけない、、、、この体の中には名前があって、、その名前を意味する、、アイデンティティー、自己が存在するという思考を築くのです。すっかりと自分という存在がこの体の中に居るという思考、感覚が馴染みますと、、、この体の中の自分というストーリーがそこから展開していきます。この体が感じる全てをこの個人の経験として蓄積していくのです、、この記憶が個人を確定的なものにし、、年齢を重ねれば重ねるほどに、、、記憶、個人は大きく膨らんでいくのです。その膨らみは同時に苦しみの膨らみになりますから、、、どこかで弾け飛ぶか、、、悟りへの理解に進むのです。

現実主義者とは夢中毒者

現実主義とは??

現実主義とは、、、思想や信念、思いよりも現実に重きを置くことです、、、現実に重きを置く、、、つべこべ言わずに結果を出してしまう、、そんなことです、、、この夢の世界で現実主義になるということは夢に重きを置くことであり、、夢にどっぷりと浸かることでもあります、、、、ですがこの夢の中で結果を出し続け、、、それでも幸福にならないという現実に突き当たった時に、、、人は悟りの準備を始めるのです。

現実主義者は観念がガンガン書き変わっていく

現実主義者は、、、結果を追い求めていきますから、、、この夢の中でもがくことになります、、、本当に結果を出そうとすれば思考にふけっていることができない、、結果、、あらゆる経験を重ねていくことになります、、するとその記憶の全てが価値観を強化していくことになり、、、価値観がこの自分、自我という大勘違いをも強化します。。価値観とはこの体の中に自分が存在しているという大前提で生まれるケースが全てだからです。ということで価値観が積み重なっていき、、、この個人ありきの人生が重く重くのしかかってくるのです。

最後の観念

そして人は最後の観念に突き当たります、、、それはこの体の中には自分が居なかったという観念です、、そしてこの現実だと思っていた世界が実は夢で、、その夢を見ている存在こそが自分だったという観念です。ただしこの二つの観念は個人が居るという大前提のこれまでの観念の全てをぶっ壊します。天動説から地動説に変わった時に、、これまでの天文学が全部壊れました。。それです、それが今ここで起きるのです。